端書き 以下に掲げるのは、いわゆる象徴主義宣言(1886)で知られるジャン・モレアスの詩集『熱烈な巡礼者』の冒頭を飾る詩篇「アニェス」の翻訳と註解である(Jean Moréas, « Agnès », in Le Pèlerin passionné, Léon Vanier, 1891, p. 3-8)。本詩集は、当時様々に試みられた「自由詩」le vers libreの一端を示すものとして重要であり、1891年2月2日には刊行を祝うパーティーが開催されるなど文壇の話題ともなった(ジッドがバレスによってマラルメに紹介されたのはこのときである)。1月23日、ピエール・ルイスはモンペリエで悶々としていたヴァレリーに向けて、次のように伝えている。「『熱烈な巡礼者』は、グロテスクに広告されていなければ、魅力的な一巻となっていたでしょう。そのせいでこの本にとってはきわめて不公平な事態になってしまったわけですが、私の周囲で聞こえてくるのは悪口ばかりです。とはいえ、まったくもって滑稽な台座をのけてしまえば、ヴェルレーヌに完全に匹敵する面がいろいろと見えてきます。モレアスは同時に、きわめて見栄っ張りできわめてナイーヴ、そして最も善良な男なのです。ヤタガン〔トルコの剣〕のような形の鬚、恐ろしい目、トロンボーンのように響く声をしていますが、蠅一匹殺せるやつではありません。それに本当に才能があります。彼の「アニェス」はささやかな傑作です。」(Gide, Louÿs, Valéry, Correspondances à trois voix 1888-1920, Gallimard, 2004, p. 392)以下の翻訳と註解を通して、ルイスがいかなる意味で本篇を「ささやかな傑作」と呼んだのか、すこしでも理解が深まれば幸いである。付言すれば、今回の試みは森本が本年度(2022年度)より主宰している京都大学人文科学研究所の共同研究班「ポスト=ヒューマン時代の起点としてのフランス象徴主義」の活動の一環である。日本のみならずフランスを含めても、象徴主義研究は何人かの大作家に集中する傾向があり、マイナー詩人たちの作品が綿密に読みなおされることはあまりない。きわめて難解なマラルメやランボーの詩であっても、多くの優れた註解が存在するおかげで、ある程度の理解に到達するのは決して難しくはないが、その一方で、モレアスをはじめ、アンリ・ド・レニエ、ギュスターヴ・カーン、ルネ・ギルといった当時活発に活動した詩人たちの作品は註釈が乏しいために、概略を理解するだけでもかなり大変である。そこで共同研究班では研究発表に加えて訳読会を行い、今日では忘れられてしまった詩人たちの作品を詳細に読みこむことも試みている。本篇の読解はそうした全体での訳業のいわば「スピンオフ」である。作業としては、森本がまず全体を翻訳した上で鳥山が疑問点を洗い出し、問題箇所についてふたりで検討を加えて最終稿を作成した。また古仏語・中仏語について小栗栖等先生から貴重なご教示を得た。記して感謝申し上げる。モレアスの詩には難解な点も少なからずあり不十分なところが残るのは承知のうえで、ささやかだが新たな試みとして諸賢の批判を請うてみたい。(森本記)。
*
アニェス
かつて存在した凱旋門を通り抜けていったのは
喪の旗印と紐で縛られた武器[1]を持つ従者たち、
ありとあらゆる君主たち
──かつて存在したのだ──海辺の都市に。
広場は暗く、きちんと舗石が敷かれていた、そして城門が、
東側と西側に高くそびえていた。そして冬の
森のように、宮殿の数々の部屋、入り口、
展望台[2]の列柱は朽ち果てていた。
それは(おまえ[3]ははっきりと思い出すはずだ)それは
おまえの青年期の最も麗しい日々のことだった。
海辺の都市へと、マントと短剣に重々しくいくつも
黄色の宝石をつけ、帽子の上には鸚鵡の羽根を飾って、
おまえはやって来た、あれこれと法螺話を語りながら、
おまえはやって来た、両脇に従えた従僕は
たいした肉付きだが大馬鹿者──事実ふたりは見かけ倒し[4]!──
海辺の都市へと、おまえはやって来て、彷徨った
フェラッカ船[5]で働く大柄の老人たちの間を、
埠頭と桟橋に沿って。
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
おまえの青年期の最も麗しい日々のことだった。
修道院長殿であるおばを前にして
おまえがいくらかでも畏怖の念を覚えるように
金銀刺繍の法衣を纏った年老いた司教が
〈正式破門[6]〉を告げたときには、─
おまえは、天候も時刻もものともせず、
アンス、ギュル、サリュスト、ゴドフロワともども
未亡人を楽しませるために。
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
おまえの青年期の最も麗しい日々のことだった。
館はしっかりと建てられ、そしてたしかに
階段からは金銀糸刺繍が垂れ下がっていた[9]、
果樹園は広大、口の達者なコウテンシ[10]がよく訪れた。
そして〈貴婦人〉はといえば、彼女にはあの素早い身振り
人をまごつかせるあの「結構ですわね」が見られた。
そして〈貴婦人〉はといえば、おおよそ
七十七個のサファイアを身につけ、額には
王冠を戴いていた。
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
都市の最も高貴な〈貴婦人〉だった。
たしかに花々が咲き誇り、広大だった果樹園で
白鮮が、実際、花開いた。
あらゆる花々が果樹園で咲き誇った。そして〈貴婦人〉はといえば、
彼女の華やかな鞍褥あんじょく[11]は
傷ひとつないあの豪華な布で作られていた、
彼女の馬はみなフリースラント産[12]、その数は
百に達した、そして海の動物であれ森の動物であれ
彼女の枕元に繊細な金の描線で描かれぬ動物はなかった。
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
都市の最も高貴な〈貴婦人〉だった。
〈貴婦人〉の顔は明るく、微かな曙光の
現れに似ていた、そして瞳はマリン・ブルーの空。
〈貴婦人〉の顔は明るく、香水をまとっていた。
〈貴婦人〉の顔は明るく、緋色の
果実にもまして、〈貴婦人〉の閉じられた口は
瑞々しかった。そしてその巻き髪[13]は、
象牙の髪留めがなかったならば、
掛け幕のように腰まで覆っていただろう[14]。
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
都市の最も美しい〈貴婦人〉だった。
〈貴婦人〉の瞳はマリン・ブルーの空にして、雪の爪留めが
宝石のように際立たせる湖[15]、そしてその口は、
花開くときの花萼[16]だった。金髪のイゼックス、不実な
クレシダ、そのために多くの男爵たちが
命を落としたエレーヌ、
妖精のフロリメル、三つ叉に身を固めたオンディーヌ[17]、
いかなる女人も女神も、これほど力強い美を
東から西まで示した者はなかった。
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
都市の最も美しい〈貴婦人〉だった。
「あなた[18]、優しい人よ」とおまえはその人に語った、「優しい人よ、
星々が消えて見えなくなりアマランサスが枯れてしまおうとも[19]
私の理性はいつまでも飽きることなく
あなたの美をくり返し語ることでしょう。
なぜなら、キューピッドの松明は消えかけても
あなたの目、その輝きを見るとまた燃え立つのだから、
そしてあなたの視線は」とおまえはその人に語った、「インク色に[20]
暗く沈んだわが心を癒やす唯一の〈医者〉なのです。」
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
秋の中頃、ある夕べのことだった。
「あなたの髪は下まで垂れ下がり、その輝きで顔を包む、
そしてあなたの微笑みはあなたの徳を守るつきそいの女たち。
ああ、私たちの魂が安易に身を任せたりせぬように、
婦人よ、気をつけましょう」とおまえはその人に語った。
「あなたの髪は垂れ下がり、あなたの瞳は黄金のフェス[21]に
紺碧を添える、そしてあなたの体は百合を纏っている。
ああ、私たちの欲望が、体の曲がった醜い小人のように
身を飾り立てたりせぬように気をつけましょう。」
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
秋の中頃、ある夕べのことだった。
「あなた、優しい人よ」とおまえはその人に語った、「私の心は
真昼の陽を受ける水面にきらめく波紋[22]。
婦人よ」とおまえはその人に語った、「私の心は
呪われた文字がぎっしりと書かれた魔術書。
ビザンティン金貨千枚どころかマラベディー銅貨数枚で
私はあなたを人に譲ってしまったことでしょう。
あなた、優しい人よ」とおまえはその人に語った、「私の心は
敬虔な修道院、天国に咲く聖なる花。」
それは(おまえははっきりと思い出すはずだ)それは
秋の中頃、ある夕べのことだった。
[1]du fer lacé : duは部分冠詞で鉄製の武器を集合的に示すととる。「紐で縛られた」lacéというのは没収された敵方の武器を言うのであろう。
[2]二行前のhiverと韻を踏むためにbelvéder(正式にはbelvédère)と表記されている(cf. Murat, Le Coup de dés de Mallarmé, Belin, 2005, p. 74)。
[3]「おまえ」は本篇の主人公、呼びかけているのは「詩人/語り手」と理解した。以下に見られるとおり「おまえ」は中世ヨーロッパと思しき世界に生きており、「詩人/語り手」はそのときの記憶を思い出すようにと促しているのであろう。
[4]原語はhappelourdesで、宝典(Trésor de la langue française)はPersonne d’aspect agréable mais sotteの意として、このモレアスの一節を引いている。語源は、Composé de la forme happe de happer*, étymol. 1 et delourde, fém. de lourd*, au sens de « femme qui manque de finesse, de subtilité ; sotte », c’est-à-dire qui se laisse duper par un homme tout en apparences ou par un bijou fauxと説明されている。
[5]地中海の大三角帆を持つ小型帆船。
[6]Excommunication Majeure : 教会からの完全な追放。これに対してexcommunication mineure(無式破門)は聖体拝領などの秘蹟の停止を言う。
[7]courir la bague : bagueは宝典ではJeu d’adresse qui consistait à enlever à l’aide d’une lance, sur un cheval au galop, un ou plusieurs anneaux suspendus à un poteauと説明されている。
[8]原語はcouleur de roy。フランス国王の色、つまり青色のことだと思われる。
[9]Il pendait des filigranes du perron : 不詳。perronは宮殿などの入口に通じる「外階段」で、filigranesはその手すりの装飾(金銀線細工)を言うか。仮にこう訳しておく。
[10]calandre : ヒバリの一種。
[11]原語はSon penal d’arroi。penalの語は宝典やリトレにも記載がなく解釈に窮するが、Frédéric Godefroy, Dictionnaire de l’ancienne langue française et de tous ses dialectes du IXeau XVesiècleにはpanelの別形としてpenalの表記が見られる。モレアスが古フランス語のヴァリアント形をあえて用いる可能性は低いかもしれないが、他に案がないためpanelと読み替えて解釈しておく。panelはpanneauの古形であり、「布切れ、ぼろぎれ」(morceau d’étoffe, morceau de grosse toile, habit déchiré, malpropre, haillon, guenille)や「鞍の下に敷くクッション」(Coussinet placé sous les bandes de l’arçon d’une selle)の意味があり、ここでは文脈から後者の意味にとった。他方、arroiについてはDictionnaire du Moyen Françaisに« D’arroi. "Bien aménagé" »や« arroi : "Apparat, magnificence" »という記述があり、ここでは「華やかな」という訳語をあてた。なお、Le Robert Dictionnaire historiqueによればarroiは中世を喚起する語であり、モレアスの別の詩篇にもこの語が次のように用いられている。« Dames d’atour et chambrières / Attentives à votre arroi, / Je vous donnai mes mains plus nobles / Que la couronne au front d’un roi. » (« Epigramme », Le Pèlerin passionné, op. cit.,p.74)〔自分たちの華やかさに注意を凝らす/着付け係と侍女たちよ、/私はおまえたちに王の額の冠よりも/高貴なわが手を与えた。〕)。
[12]Frise : オランダのフリースラント州を起源とする馬で、軍馬として重宝された。
[13]crins recercelés : recerceléは宝典には紋章用語として、[En parlant de la queue de lévriers ou de porcs figurant sur les blasons] Qui se termine en boucleと解説され、そうした意味からの類推に基づく用例として、このモレアスの詩句が引用されている。
[14]この二行の接続法大過去は次のように言葉を補って解釈した。[si] les entraves d’ivoire ne fussent [= n’existaient pas], [ses crin] eussent [= auraient] encourtiné ses reins. 文中のentravesは髪留めを指すのであろう。動詞encourtinerはgarnir de courtines, de tentures、転じてdisposer à la façon de rideauxの意で、宝典にはモレアスの別の詩が引用されている。[...] Les nobles cheveux châtains de ma Dame, / Soit que sa main les apprête / En bandeaux modestes sur sa tête, / Soit qu’ils l’encourtinent déliés [...]. (« Ombre de casemate… », Pélerin passionné, op. cit., p. 46)〔わが〈貴婦人〉の栗色の高貴な髪、/その手が頭の上に/ささやかな束にまとめ上げるにせよ、/ほどけて顔を掛け布のように覆うにせよ〕
[15]sertissureは指輪などの宝石を嵌めこむ金具の「爪」で、宝典にはこのモレアスの詩句が引用されている。rehausserは「引き立たせる、飾る」といったニュアンスで、雪の「爪」によって囲まれた湖が宝石のように輝いて際立つ様子を示しているのだろう。
[16]原語caliceには「花萼」のほかに「聖杯」の意味もあり、この語は「湖」とともに中世の聖杯物語群や湖水のランスロの物語を想起させる。
[17] エレーヌはトロイア戦争のきっかけとなった絶世の美女へレネ。クレシダはトロイア戦争を踏まえた中世の物語「トロイラスとクレシダ」のヒロインであり、中世の『トロイ物語』(ブノワ・ド・サント・モール作、ただしクレシダはブリセイダ(Briseïda)という名で登場)に始まり、ボッカッチョを経て、チョーサー、ヘンリソン、シェイクスピア、ドライデンへといたるトロイルス伝説の系譜がある。妖精のフロリメルは、アーサー王物語を題材にしたスペンサー『妖精の女王』に現れる。オンディーヌは北欧神話に由来する「水の精」。「金髪のイゼックス」la blonde Isexは、「金髪のイゾルデ」Iseult la Blondeを指すか。いずれにせよ、神話上、歴史上の美女たちに比べても〈貴婦人〉の美は傑出している。
[18]sœurとあるが、姉妹ではなく親しい女性への呼称ととる。
[19]amaranteは語源的に「しおれることのない」の意。宝典にはサント=ブーヴの用例(「決してしおれることのない美徳の象徴」)が載っている。Je ne parle pas de la vignette peinte en vert, de la branche d’amarante, symbole de la vertu qui ne se flétrit jamais [...]. (Sainte-Beuve, Causeries du lundi, t. 8, 1851-1862, p. 142)
[20]原文はatramentéで宝典には記載なし。宝典にあるatramentaireはqui rappelle l’encreの意。
[21]fasce(フェス)は盾中央の横帯部分。この二行は、貴婦人の金髪の髪が純白の衣にかかり、そこに目の青い色が映えるというイメージであろう。
[22]moire(波紋)は二行後のgrimoire(魔術書)と韻を踏んでおり、「私の心」の捉えがたさを示しているのかもしれない。「敬虔な修道院、天国に咲く聖なる花」の心を持つ「私」がはした金(マラベディー銅貨数枚)で貴婦人を譲ってしまったかもしれないという示唆は、この詩篇に聖と俗にわたる両義性を与えている。