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ジャン・ポーラン『タルブの花』(榊原直文訳、水声社、2023年)/ 西村友樹雄

更新日:2023年10月23日


 ジャン・ポーラン『タルブの花』(1941、以下『花』と略記)の邦訳は、ポーランが没する直前に出版された野村英夫の手になるものがすでに存在する(晶文社、1968)。野村訳は、『言語と文学』(書肆心水、2004)にモーリス・ブランショ「文学はいかにして可能か」とともに再録されており、その定訳としての地位は揺るぎないものと言えよう。しかし、2005年以降フランスでは新編ポーラン全集が順次刊行され(2023年現在5巻まで刊行)、日本でも2010年代に入ってから『百フランのための殺人犯』(安原伸一朗訳、書肆心水、2013)、『かなり緩やかな愛の前進』(榊原直文訳、水声社、2022)が刊行されている。こうした状況を踏まえると、ポーランの主著が、旧訳刊行後の半世紀間に積み重ねられた研究をふまえ、新たに訳されたことの意義は極めて大きいと言えよう。

 『花』およびその著者としてのポーランについては、本書巻末に収録された訳者の榊原直文氏による丁寧な解説が多くを教えてくれる。また、本ブログに掲載された久保田斉也氏の『かなり緩やかな愛の前進』評も、大いに示唆に富むものだ。したがって、ポーランについてほとんど知ることのない筆者は、屋上屋を架すことへの怖れから、『花』を正面から論じることを控え、評者にもどうにか可能と思われる方法で同書に接近を試みたい。その方法とは、『花』が捧げられた作家にアンドレ・ジッド(評者の一応の専門でもある)と関連する箇所・言説を拾い上げることである。


新訳の特徴

 本題に入る前に、新訳の特徴を2点述べておこう。

 新訳の特徴はまず、原文のterroristeという語に与えられた訳語にある。旧訳では一貫して「テロリスト」と訳されていたこの言葉は、新訳では「恐怖政治家」の語があてられている。一般的に、日本語の「テロリスト」は、権威に挑戦し、社会の秩序を破壊しようとする冷酷な犯罪者を想起させるだろう。しかし、フランス語のterroristeの含意はそれだけではない。権威の側にたち、社会の秩序を維持するためならば「大量虐殺や殺戮」(p.49)をも辞さない、フランス革命期の政治家を指す言葉でもあるからだ。ゆえに、常套句を禁止し、字句偏重を糾弾する作家・批評家──彼らはしばしば権威的にふるまう──に与えられる呼称としては、恐怖政治家なるいかめしい字面の訳語こそがふさわしい。

 もう1つの特徴は、ポーランの文章の呼吸が、より忠実に再現されているように思われる点だ。まず、旧訳を見てみよう。


文学と言語とは、どれほど異様で未開のものであっても、ともかく続いていくのであり、したがって、蜜蜂が無反省に──とみえるのだが──貯えていく蜜にそれらが喩えられるのは理由がないわけではないのである。(旧訳、p.26)


常套句とはいつでも、いかに陳腐なものであっても、それを述べる者によって作り出されたものとなりうるということである。だからそうした場合には、強い新しさの感情すら伴うのである。(旧訳、 p.97)


旧訳にある「したがって」「だから」は、それぞれ原文の「et」「:(ドゥ・ポワン)」に対応する。前者は並列・順接・逆説を示す多義的な接続詞で、後者は説明や引用を導く記号である。『花』にはこのように、文章間の明確なつながりを設定せず、筋道の構築を読者に委ねていると思しき箇所をあちこちに見出すことができる。新訳は、この特徴をよくとらえており、上記の2か所に関しては、旧訳にあった順接の接続詞を用いていない。


いかに風変わりで未開の状態にあろうとも、文学も言語も止むことなく続いている。蜜蜂が考えもせずに作るという蜜にそれらが喩えられるのも故なしとしないのである。(p.26)


常套句は、いかに陳腐なものであっても、それを発する者によって創り出されたものとなりうる。そうした場合には、強い真新しさの感覚さえ伴う。(p.78-79)


 論理を見出せそうで見出せない、時には単なる並列としか呼べないような文章の接続は、『花』の読みにくさを構成する大きな要因でもある。新訳でも、読者の理解を助けるため、そうした場合に必要に応じて適切な接続詞が補足されることがないわけではない。とはいえやはり、新訳の気遣いは、この緩やかなつながりをできるだけ活かし、それらが織りなすリズムを、さらにはそのリズムがテクストにまとわせる独特の――超然と逡巡とが入り混じり、入れ替わってゆく――雰囲気を再現しようとすることにあるように思われる。


ジッドは恐怖政治家か?

 『花』の読者は、恐怖政治家たちのふりかざす理屈が、それ自体が分析されることで、内部からつきくずされていく過程に立ち会う。縦横無尽な引用は、常套句の排除を目指す恐怖政治家たちが、まさに常套句に依存していることを明らかにする。彼らは常套句について「錯覚」しており、自分たちがなぜそれを糾弾するのか、その理由についてすら「曖昧にしか分かっていないかのよう」だ(p.99)。

 常套句の排除を筆頭とする恐怖政治に対置されるのが、「古来の王道」(p.126)たる「修辞学」である(なお、修辞学の担い手は「体制維持派」と呼ばれる)。常套句、ひいては言語そのものを忌避する前者に対し、後者は言語に注目し、その規範的な使い方を規定するものだ、とひとまずは理解できよう。ただし注意したいのは、ポーランがそのように呼ぶ修辞学は「普通その言葉で意味するものとは異なっ」(p.130)ており、また恐怖政治の理屈を突き詰めたはてにようやく見出されたという点だ。したがって、恐怖政治と修辞学の関係は、一方を糾弾して解決するような、単純な二項対立的に還元しえないのだ。ポーラン自身の言葉を借りれば、両者は「すべての作家たちが持っている、互いに切りはなすことができない二つの方法[1]」である。この点に関して、本書が捧げられているアンドレ・ジッドの場合を検討してみよう。ジッドは、『花』の刊行を目前に控え、自分が「恐怖政治家なのかどうか[2]」をとても気にしていたのだ。


 確認できる限りでは、ジッドとポーランの関係は1918年にさかのぼる。この年の2月、ジッドはポーランから送られた短編『ひたむきな戦士』への礼状を送った。両者は翌年に、詩人ルイ・アラゴンの仲介で初めて顔を合わせ、ポーランは翌1920年から、『新フランス評論(NRF)』誌(ジッドは創設者の1人である)に参加するようになる。1925年に同誌編集長のジャック・リヴィエールが病死すると、その地位を継承し、長らく事実上の、そして正式な編集長としての任にあたった。以下に引用するジッド宛の手紙は、リヴィエールが没して間もない時期に書かれたものである。「修辞学」の語が用いられていることからは、同書が刊行されるおよそ16年前にはその問題意識がすでに胚胎していたことがわかる。


 あなたの作品は、文学における言語の諸問題を提出なさっているように思えるのですが、それは、プルーストやヴァレリーの場合にそうであるように、ただ一度きり決定的なかたち提出されるような問題ではありません。彼らの場合は、ひとつの言語の発見は、生や作品の極めて限定されたある一瞬に行われます。しかしあなたが提出される問題は、絶えず組み立てなおされ、再考されるような問題です。つまり、検討しようとする人々にひとつの科学を要求するたぐいのものなのですが、私はそんな科学をまだまったく我がものとしていないのです。

 ここには発見すべきひとつの修辞学──とはいえ古くからあるそれとは類似していないのですが──があるように思われます。この修辞学が不在であるため、作家の営みや素質は今日、言語を使うことよりも、それを発明することに労をとらなくてはならないのです[3]


 ポーランにとって、ヴァレリーとプルーストは、ひとつの言語を「発明」しようとする作家であり、その営みによって修辞学の不在を証明している。では、これらの作家と区別されているジッドはどのような立場にあるのだろうか。一見すると修辞学の実践者のように、『花』の文脈で言えば非-恐怖政治家のようにもとらえられそうだが、果たして実際はどうなのだろうか。

 恐怖政治家たちは、「認められ、試され、使われた語」を常套句として退け、さらには文学ジャンルの「規則や形式」も捨て去ってしまった。その結果、「演劇は演劇的なものを、小説は小説的なものを、詩は詩的なものを何よりも回避することと相成った」(p.31-32)とポーランは述べる。この指摘は、先に引用した手紙と同年にジッドが発表した小説『贋金つかい』(1925)で取り扱われた問題と関連する。作中人物のエドゥアールは、「小説から小説固有でないものを取り除く」こと、すなわち恐怖政治家たちとは逆に「小説的なもの」の追求に取り組むからだ。「純粋小説」と呼ばれるこの小説観を、先のポーランの主張にそって考えるならば、ジッドはその限りにおいて恐怖政治を行っているわけではない、と言えそうだ[4]

 ジッドの名は、恐怖政治家に不利な論拠が提示される際に持ち出されることが多いようだ。恐怖政治家の筆頭たるロマン派は思考を言葉から解放したと信じていたが、ジッドはロマン派が「感情よりも文を、思考よりも語を明らかに優先させた」(p.70-71)ことを見抜いていた。また、彼は、恐怖政治家が「様々な体系や詩学あるいは原理」を「理解もそこそこに浪費」(p.87-88)していることに驚いて見せる。とはいえ、ジッドがはたして常套句についてどのような姿勢をとっているか、恐怖政治あるいは修辞学をいかなる形で行使したのかについては、『花』からだけでははっきりとはわからない。

 ジッドの位置付けについては、『コンバ』誌に掲載されたモーリス・ナドー宛の公開書簡にヒントをもらえる。作家を、形式(言語)優位の古典主義者・修辞学者と内容(思考)優位のロマン主義者・恐怖政治家との2種類に大まかに分類した上で、後者を取り扱ったのが『花』だった。しかし、これらとは別に、古典主義者の論法とロマン主義者の論法をかわるがわる用いるような第3のグループがいる。代表例がジッドだが、このグループに属する作家たちを調査してみてもなんら新しさをもたらさない、とポーランは述べる[5]。ならば、ジッドは『花』において検討対象となっていない、と言うことになろう。

 ただし、このことは『花』の議論におけるジッドの重要性を減じさせるものではない。なぜなら、ポーランは、ジッドに「責任(もしくは半-責任)」を課したと述べ、その責任については『花』の続刊でよりはっきり説明されるだろうと述べているからだ[6]。本書が献げられながらも、正面からは論じられることはなく、それでいて要所要所で恐怖政治に釘をさす役割を担わされている、この作家が担っている「責任」とは何だろうか。どちらつかずの第3のグループに属することで、恐怖政治が猖獗を極める状況を結果的に黙認してしまったことだろうか。あるいは体制維持派としての顔も持つジッドが、「窒息」(p.143)を招くほどに厳格な修辞学の適用を求めたとでもいうのだろうか。いずれにせよ、この書の中で表立ってそのふるまいを批判されていないジッドも、安全圏にいるわけではないことは確かだ。

 その「責任」が詳らかにされるはずの続刊は、『花』の末尾で予告される。牽強付会を恐れずに言えば、この末尾にはジッドの手付きを想起させる箇所がある。最後の一文「とにかくわたしは何も言わなかったことにしておこう(Mettons enfin que je n’ai rien dit.)」がそれだ。仏和辞書でもしばしば出会うこの典型的な常套句は、ジッドの笑話(ソチ)『鎖を解かれたプロメテ』(1899)で効果的に用いられている。プロメテは、荒唐無稽ながらも作品の根幹にかかわる小話を披露する直前と直後にこの表現を用いている(正確には « Mettons que je n'ai rien dit. »)。ジッドの熱心な読者でもあったポーランであるが、このことを念頭に置いていたかどうかは定かではない。とはいえ、否定の身振りが否定されたものの重要性を、さらには身振りそのものの無益さを際立たせる修辞──逆言法の一種に分類できよう──を、あえて重要な箇所で用いる姿勢について、ポーランとジッドの間にさほど大きな違いがあるようには思えない。

 恐怖政治の調査の果てに得られたのは、その調査を支えていた方法と思考を変容・反転させること、さらに変容・反転そのものに注目し、そこに「神秘の明確な形象」(p.144)を認めなければならない、という見通しだった。しかし、ここで取り扱われるべき問題は「目を凝らすと見えなくなる薄明かり」のようなもので、把握したいという欲望こそが試みを失敗に導いてしまう。「とにかくわたしは何も言わなかったことにしよう」のともすれば責任回避的な一文は、この陥穽にとらえられたことを自虐的に認めながら、その轍を踏まぬようひとまず『花』の圏域の外へと一歩足を踏み出しつつある、そのような運動のさなかにあるポーランを浮かび上がらせているのではないだろうか。


 『花』が恐怖政治に関する定説を提出するどころか、思いもよらない、より解きがたい問題に行きついたように、ジッドを手掛かりに本書に接近しようとする試みもまた、その道中で不意を突かれるように出会ったいくつかの謎を解けぬままにひとまず中断されようとしている。この結果は『花』という著作の性格上不可避なのかもしれないが、少なくとも、『花』に関連する諸テクスト、ひいてはその続刊とされる著作群について目を通すことで、さらなる接近が可能となり、これまで見えなかったものも目に映り始めるはずだ。その時、ジッドの「責任」にまつわる謎にも、予想もしない方向からの薄明かりが差し込んでくることだろう。

 今回の新訳に続いて、ポーランが残した多くのテクストの邦訳が出版されることを、また、この一筋縄ではいかない作家そのものに、また彼がその所在を暗示した数々の問題に取りかかるための地盤がさらに整えられていくことを、評者は心より願わずにはおれない。



[1] Laurent Brisset, La NRF de Paulhan, Gallimard, 2003, p.124.

[2] 1941年10月15日(André Gide / Jean Paulhan, Correspondance 1918-1951, Gallimard, 1998, p.252)

[3] 1925年7月9日(Ibid., p.39)

[4] なお、1920年代には、小説に限らず、詩や演劇、映画など様々な分野で、「純粋」の名のもとにジャンルの固有性を回復しようとする動きが見られた。Didier Alexandre « Sur la littérature pure », Pureté et impureté de la littérature (1860-1940), Classiques Garnier, 2015, p.13-51等を参照。

[5] « Lettre à Maurice Nadeau », Œuvres complètes t. III, Gallimard, 2011, p.401.

[6] 1941年10月2日(Gide / Paulhan, op. cit., p.252)

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