本書はフランスの哲学者メルロ=ポンティの初期から中期までの思想を「言語」とりわけ「文学」の問題を中心に考察し、真理を語る哲学者の「生」とは何かを探求したものである。メルロ=ポンティの文学者や画家に対する言及は夙によく知られているが、著者はより具体的に、2013年に初めて刊行された1953年のコレージュ・ド・フランス講義『言語の文学的用法の研究』を取りあげ、メルロ=ポンティがヴァレリーとスタンダールをどのように理解していたのかを詳細に読み解くことで、上記の問題を新しい観点から捉え直した。
第1部(第1章〜第3章)では『行動の構造』と『知覚の現象学』という初期の代表作が再検討され、言語表現とその「地平」である「身体」をめぐる思索が取り出される。言語は、新しい表現を生み出すとしても、それを生み出す明瞭ならざる「地平」はすぐに忘却され、新たな表現もコード化されてしまう。客観的思考のうちに自閉するのでもなく、ベルクソンのように非反省的なものに直観的に同一化しようとするのでもなく、この暗い「地平」から明確な表現への生成のあり方自体を哲学的省察の対象とすること、それこそがメルロ=ポンティにとっての中心的課題であった。
文学、とりわけヴァレリーとスタンダールというふたりの作家は、こうした思索の課題にとって重要な意味を持つ。第2部(第5章〜第6章)の読解によれば、ふたりとも感性と知性、身体と意識の分裂に苦しみ、「カイエ」や日記を書き続けることで「言語の修行」を積み、読者に対する巧みな文学的発話の遂行を可能にする言葉の「能力」を身につけた。メルロ=ポンティにとって、こうした作家における「自己」と「真理」と「他者」の関係は、現象学的還元を通じて「超越論的なもの」を表現する特殊な発話行為を行おうとする哲学者の営みに通じるものであった、と著者は論じる。哲学をたんなる制度化された孤独な営為にとどめずに、哲学者の「生」を、社会へ向けた「離脱を通じた参加」として捉える著者の視角は鋭くまた野心的である。
本書は、『言語の文学的用法の研究』の刊行後いち早くこれを詳細に読解し、昨今ともすれば個々の専門領域に自閉しがちな哲学研究と文学研究とを接続しながら、両者の対話の可能性を具体的に描いたものとして大きな意義を持つ。また、学術的考察の高い水準と濃密さを維持しながらも、非専門家にも十分に配慮した分かりやすく明快な文体で書かれていることも、著者の優れた資質を示すものであり、広く読まれるに値する一冊であると言えるだろう。
佐野泰之
身体の黒魔術、言語の白魔術
──メルロ=ポンティにおける言語と実存
ナカニシヤ出版、2019年3月
ISBN 97847795138
定価 本体3,400円+税