top of page

ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン『われわれが見るもの、われわれを見つめるもの』(松浦寿夫・桑田光平・鈴木亘・陶山大一郎訳、水声社、2024年)/ 大岩雄典

 ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン『われわれが見るもの、われわれを見つめるもの』は、ミニマル・アートを題材に、著者の「十八番」であるイメージ論を展開する。

 ディディ゠ユベルマンの著作は、しばしば大部で、またそのイメージ論の理念に通ずるパラディグマティックな構成、すなわち同系列の概念をつぎつぎに渡り歩き、その足場となる絵画や写真や文学をもつぎつぎに渡り歩く構成ゆえに、峻険に思われる。事実峻険である。そのなかでは、『われわれが見るもの、われわれが見つめるもの』は飛び切りにとっつきやすい。図版が黒い立方体ばかりなのだ!

 原著の図版は別丁貼込だが、本訳書の図版はページ下部にある脚注のための小段に収められている。おかげで立方体の黒色はなおさらふけぶけと潰れている。ただの黒ではない。写真に映る彫刻作品の黒、それを撮影したフィルムの黒、本文と同じインクの黒──黒の両義性を読者は見つめ込む。かような黒の両義性を、ディディ゠ユベルマンはモーリス・メルロ゠ポンティに倣って「夜」になぞらえる。黒は単純であるが、単純であるがゆえに、イメージの両義性の範例である。図版の縮小を微瑕とみなす読者もいるだろうが、いやむしろ黒がつぶれているためにこそ本訳書はより範例的にディディ゠ユベルマン的な書物となっている──と本評は率直に表明しておく。

 書評子が本評を頼まれたゆえんは、美術批評家マイケル・フリードを専門のひとつとする点におそらくあるだろう。フリードは1967年の批評「芸術と客体性」で、当時盛期を迎えていたミニマル・アートを強く論難した。ディディ゠ユベルマンが本書で主張する態度はある程度、フリードのミニマル・アート論の解釈と再批判を通じて表明されている。したがって以下では、主に両者の理論的立場の相同と相違を整理していくことで書評としたい。

 本書の訳者あとがきでは、訳者のひとりである松浦寿夫が、同時期に書かれた著作との関係や、本文中に明示されない文脈について、多くの示唆を書き留めている。本評中でも文脈に応じてある程度フォローするものの、ぜひそちらも合わせて参照されたい。

 

***

 

 以下、特記なき引用は本訳からのもの。傍点は表示の都合上省略する。丸括弧内の算用数字で頁番号を示す。必要に応じて原著のフランス語を付した。本書以外からの引用は題名だけ示し、末尾に書誌情報を記した。

 

本書の構成

 

 『われわれが見るもの、われわれを見つめるもの』は十の節から成る。便宜のため番号を振る。

 

(一)見ることの避けがたい分裂

(二)空虚を回避すること──信仰か同語反復か

 

(三)見るべきこの上もなく単純な物体

(四)見えるもののジレンマ、あるいは明証性の作用

 

(五)視覚的なものの弁証法、あるいは刳り抜きの遊戯

(六)擬人主義と非類似性

(七)二重の距離

(八)批判的なイメージ

(九)形態と強度

(十)眼差しの果てしない敷居

 

 題だけを見てもわかりづらいが、本書は上記のように分割した三部に整理して説明すると都合がいい。以下この整理に沿って概観しよう。

 

第一・二節――基本的アイデア

 

 まず、第一から二節で本書の基本的なアイデアが示される。本書冒頭のテーゼが明解である。

 

われわれが見るものが、われわれの眼にとって価値をもつ――生き生きしている――のは、ただ、われわれを見つめる〔=われわれに関わる〕ものによってのみである。しかしながら、われわれの中で、われわれが見るものとわれわれを見つめるものとを隔てる分裂は避けがたい。それゆえ、見るという行為は二つに分断されることで初めて展開されるという逆説から、絶えず出発しなくてはならないだろう。(13)

 

 自分の見ているものが見返してきてもいること。ディディ゠ユベルマンは、私たちがふだん一方的な主客関係を想定しがちな「見ること」をこのように双方向の運動へ分裂させる。

 このとき、二つの方向に二つの動詞がひそかに割り振られる。一つは「見る(voir)」、もう一つは「見つめる=関わる(regarder)」である。本文中この動詞が使われる箇所のほとんどにおいて、その目的語は「私」「われわれ」もしくは幼児など人間が該当する。見るという行為を端的で一方向的なものにとどめさせず、それを媒質としてその対象や視線そのものの内から湧出する、自分の側こそ視覚の主体だと思い込むわれわれにたいする見返し=関わり。ダブルミーニングが「regarder」というフランス語に込められている。

 

私が墓を見るとき、墓のほうは私の深部を見つめている〔私の深部に関わってくる〕のであり、またそれゆえに、墓は、私がその墓をただ単純に穏やかに見る能力をかき乱しにやってくるのである。(24)

 

 本書はこの「regarder」の現象学を拠りどころに、美術作品や文学的イメージ、また哲学的言説を解釈する。それらは、ディディ゠ユベルマンひいては読者に、能動性として解釈するよう目配せを送っている。本書において、「regarder」の現象学と解釈学はそのようにパフォーマティヴに視線を送りあっている。見ることの分裂の「避けがたさ」は、現象学的テーゼ一般の「避けがたさ」の一種として措定される。ディディ゠ユベルマンがこの「避けがたさ」を――「実在」とのジレンマを避けて――「存在の問い」(20)に直結するのはこうした事情からである。

 避けがたいはずの双方向性をなす「空虚」を「抑圧(refouler)」(25)する一対の典型的態度として、ディディ゠ユベルマンは「信仰」と「同語反復」を挙げる。信仰は「たえず自分が見ているものの彼方に別のものを見る」(33)。同語反復は「目に見えるヴォリュームに留まろうと決め」る(26)。

 

第三・四節――ミニマル・アートと「芸術と客体性」の分析

 

 第三から六節が、本書の要であるミニマル・アートの作品と言説の分析である。

 かくして、ミニマル・アートを作品と理論の両面で牽引したドナルド・ジャッドの唱える「特殊な物体(specific object)」の理念がまさに「同語反復」の態度であると指摘される。ジャッドは、あらゆるイリュージョンすなわち「何か別のもの」との関係を指す効果を避けて、それだけで単一の質をもつ「特殊な(specific)」素材や三次元ヴォリュームを求める。

 付言すれば、「特殊」の概念がクレメント・グリーンバーグの「メディウム・スペシフィシティ」すなわちジャンル同士の排他性を指す理念を承けているのは明白である。ジャッドは同テクストで、絵画と彫刻の形式を「凝り固まった」とみなして、「三次元」を既存の形式から区別している。すなわち特殊=固有の質の成立が、新たなジャンルの成立を必然的に導く修辞的なプロジェクトであった。

 他方、ジャッドを含むミニマル・アートの作家全般をひっくるめて論難したフリード「芸術と客体性」もまた、ディディ゠ユベルマンによれば同じ「同語反復」の狢である。

 フリードはジャッドが抑制したはずの経験の複雑さ、複数の要素の関連をミニマル・アートの様式に探知する。鑑賞者が前にした物体の大きさや位置関係がもたらす両義的な作用である。「前にする」という局面を指してこれをフリードは「現前性(presence)」と呼ぶ。ジャッドの主張とは裏腹に、ミニマル・アートの作品において特殊性は現前性と拮抗している。フリードはこのジレンマを重大視して、あらためて後者の制圧を求める。ジャッドとフリードは、作品の診断に相違があるにせよ、両者の立場はディディ゠ユベルマンからすればいずれも「同語反復」的である。すなわち、意味がぶれていく余計な不安のない「特殊性」を、ジャッドは三次元物体のデザインに、フリードの場合は絵画や彫刻の形式としての「恩寵」や「現在時性(presentness)」の名のもとに求める。両者の差異はただ「ジャンルをめぐる論争」(66)にすぎない。

 ところで、フリードが論難した概念といえば「現前性」以上に、ミニマル・アートがそれを扱う態度の「演劇性」である。しかしディディ゠ユベルマンは前者を基本的な要素とみなしているように見える。現前性(目の前にいること)と擬人主義(物体が人体やその所作のようかであること)とを結びつけるのが演劇性だと診断する。ディディ゠ユベルマンは演劇性の語を、俳優・演技のニュアンスで汲み取っている。この点はのちに補足しよう。

 ジャッドが楽観的に見逃し、フリードが敏感かつ深刻に探知したこの両義性こそ、物体が私たちを「見つめ」返すために執拗に残る作用である。ディディ゠ユベルマンの考えでは、ロバート・モリスはその作品と言説の両方において、トニー・スミスはその作品において、むしろその差異を積極的に認めている。実際ジャッドは「不服」と題されたテクストの中で、自分とモリスの立場を意図的に混同・混成するフリードに対して異議を唱えている。実際「芸術と客体性」でフリードはミニマル・アートが現前性を発揮する空間的条件を「状況」と呼ぶが、そのときモリスのステートメントに基づいている。

 フリードのミニマル・アート批判は、現前性にたいするジャッドの誤診や理論的矛盾にたいするものではなく、意図的にせよ結果的にせよ現前性を暗に推進する態度、すなわち「イデオロギー的」なものに対する論争なのだ。そこで争われる観念は、フリードも認めるとおり「芸術」の観念である。

 

〔…〕アメリカン・「シーン」のこの時期において、何が芸術に属し、何が芸術に属さないのかという問い──マイケル・フリードにとってそれがきわめて重要なものであることが感じられる──を言語活動において表明する〔…〕。(60)

 

私が考えるに、リテラリズムの作家は誰しもそのステートメントで価値や質という問題をかなり回避してきたし、同時に、自分たちが作っているのが芸術なのかどうかが相当不確実であることを示してきた。(「芸術と客体性」)

 

 ディディ゠ユベルマンはフリードの、作品やイメージそのものに対する敏感な不安の正確さを認めている。フリードが「同語反復」の抑圧をかけているのは芸術というカテゴリ自体であると、ディディ゠ユベルマンは本書刊行から20年近く経過した2011年も同様に認識している。

 

美学的な問いとはつまり、マイケル・フリードを始めとする多くの者が取りつかれている、「これは芸術なのか」「芸術とは何か」「いつ芸術は存在するのか」「芸術の基準は何か」といった問いのことです。(「イメージで思考する」:以下「思考」)

 

第五~十節──弁証法的イメージのレッスン

 

 同語反復的態度への批判を経て、第五・六節ではミニマル・アートを、信仰にも同語反復にも帰着せずに、「不安」のうちに見る(見つめられる)レッスンが始まる。

 彼方を見ることと手前を見ることのどちらにも落ち着かない運動をディディ゠ユベルマンは「弁証法」と呼ぶ(70)。フロイトの「糸巻き」や、またトニー・スミスの作品《Die》(1962)に通ずる「立方体」、また個別のミニマル・アート作品を題材に、その形態や物体の働き、ピエール・フェディダやジークムント・フロイトなど複数の言説をまたぎながら、それら「弁証法的イメージ」(ヴァルター・ベンヤミンから借りた語である)が私たちの「見ること」を不安にするかを具体的に講じる。この不安は、先述した現象学と解釈学とのあいだの「メタ」な不安と同時に発生していることを付言しておく。

 糸巻きや立方体のみならず、この弁証法的イメージのモチーフは本書冒頭からすでにかわるがわる出現している。海、母、潮の満ち引き、喪失、空虚、棺、墓、夢。特に海(mer)と母(mère)のあいだ、空虚(vide)と見る(vide)のあいだの地口を、スミス《Die》の「死」と「賽」の地口と同等にディディ゠ユベルマンは強調する(24, 105)。第五節ではこの系列に、上述の糸巻きや立方体のほか、夜、黒が加わる。より非視覚的な概念では、時間、記憶、かさばり(メルロ゠ポンティ)、不明瞭、往復、遊戯、律動。第六節で加わるのは、フリードがミニマル・アートに察知した「擬人主義」である。ディディ゠ユベルマンはここでも、擬人主義が現前性や現象学と連合するのをフリードが「演劇」と呼称したと解している(121)。先程のリストに、情動、強度、ダンス、閉じた口、指標性、内部、空間が加わる。フリードもまた、ミニマル・アートの「中空(hollow)」を露骨な擬人主義とみなした。

 ディディ゠ユベルマンにおいてイメージの概念は、つねにこの種の弁証法を「根本的に思考すべき」である。

 

根本的に思考すべきイメージは可視性原理の彼岸、すなわち可視的なものと不可視なものとの規範的な──自然発生的で思考されることのない──対立の彼岸にしかないということを、その視覚性はおそらくわれわれに認めるよう強いているのだろう。この彼岸もまた視覚的であると呼ばねばならない。〔…〕われわれが同語反復的にも、私が見ているものを私は見ていると言うことができるのは、イメージに関するわれわれの可視的確信の空間の中に──たとえ一時的なものであったにせよ──

施された開けであり喪失として自らの視覚性を課すという力能を、われわれがそのイメージに対して否認する場合だけである。そしてまさにこのことから、イメージはわれわれを見つめることができるようになるのだ。(102–103)

 

 最後の第七から十節はミニマル・アートから離れて、このリストをさらにインターテクスチュアルに拡げていく。第七節でまず、ベンヤミンの「アウラ」が「どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的に現れている」の叙述を「二重の距離」と解釈して弁証法の系列に加える。これは後年の著作『時間の前で』(2000)でさらに展開する。さらに以降、メルロ゠ポンティの「空間」、ベンヤミンの「歴史」、デリダの「差延」、立ち戻ってフリードの「演劇」、さらにロシア・フォルマリズムの「形式的方法」や、ディディ゠ユベルマンの読者には馴染み深いカール・アインシュタインの芸術論、真打にフロイトの「不気味なもの」、フランツ・カフカの「門」が次から次に参照される。

 十把一絡げに言えば、示差的で二重のものが、各々の理論のうちで働きを位置づけられるための概念やそのアレゴリーのオン・パレードだ。そしてこの位置がその働きの定義からして「理解可能性をめぐるメタ心理学的次元」(231)である点を、ディディ゠ユベルマンは正しく認める。

 

それによってわれわれは、形成に関するフロイト的パラダイム──症状の形成、夢の中での形成、いずれにせよ無意識の形成──へと接近することになる。(231)

 

 誰の無意識か──この問いは後に残しておく。

 

***

 

フリードの反応、ディディ゠ユベルマンの反応

 

 ここまで見たように、ディディ゠ユベルマンとフリードとの見解は単純に対立したものではない。ミニマル・アートにおける言説と作品との矛盾をフリードは「かくもよく見る」とディディ゠ユベルマンは評価して、「芸術と客体性」における不安の報告に「決定的な価値」を置く(61)。「強烈な不快感」を感じることでこそフリードが鋭敏な視覚を得た以上、「彼を信頼しなければならない」(121)。

 ディディ゠ユベルマンはフリードの「分析を攻撃したわけではありません」(「思考」)。批判したのはジレンマ(二者択一)への「倒錯的」あるいは「偏執狂的」姿勢である(65)。ジャッドはジャッドの、フリードはフリードの、「特殊性」への同語反復的執着をするために、フリードはジャッドとのあいだで、そして作品の両義的様態を前にして、ジレンマの理論を構成せざるをえない。

 フリードがジレンマに陥ってでも執着するのは、先述したように「ジャンル」の特殊性である。周知のようにクレメント・グリーンバーグ流の当時のフリードのモダニズムにおいて、この特殊性は「芸術とは何か」という「美学的な問い」と不可分である。

 

質や価値という概念が──それが芸術にとって、芸術という概念そのものにとって中心的であるとして──意味をもつのは、もしくは完全に意味をもつのは、あくまで個々の諸芸術(the individual arts)の内に限られる。諸芸術のあいだにあるもの、それが演劇だ。(「芸術と客体性」)

 

 フリードとディディ゠ユベルマンの相異は、次のようなパラフレーズで概して表現できる。諸芸術のあいだにあるもの、それがイメージだ。

 さて、本書におけるいけずな、とはいってもディディ゠ユベルマン本人の基準でいえば「敬意を払っている」(「思考」)批判に対して、フリードはどう応えたか。訳者あとがきで松浦は、フリードが「きわめて辛辣な批判」を返したと言及する。ディディ゠ユベルマン自身は、フリードがその「激しい反応」において「返答しないと述べることを選」んだと述べ、「反論するまでもないということ」だと解釈する。

 この「反応」は、本書の6年後に出版された論集(1998)に収められた自伝的テクスト「私の美術批評へのイントロダクション」にある。フリードは「芸術と客体性」の発表された背景として、芸術的価値の概念が危機に晒されていた、と1960年代当時を振り返る。そのさい、トニー・スミスが夜の高速道路を疾走したさいに「芸術の終焉」を感じたという有名な逸話を引く。この箇所に付された註に、本書への「反応」は記されている。

 

ここで再びスミスを目の敵にするのは不躾に見えるかもしれないが、およそ私が反応しているのは、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマンが自著『われわれが見るもの、われわれを見つめるもの』における自分の達成を目に余るほど過大評価していることに対してである。この本の知的な雰囲気(intellectual flavor)は二、三行では伝えられない。次の点に言及すれば充分だろう。この著者〔ディディ゠ユベルマン〕はスミス《Die》に模範的な深遠さを見出しており、「芸術と客体性」に対して世界中の知識人のキラー・ラインナップをけしかける――たとえばヴァルター・ベンヤミン、デリダ、フロイト、ラカン、そしてメルロ゠ポンティ、言うまでもなくジョイス、カフカ――この全員を召集するのは「弁証法的イメージ」という概念であり、この概念が強調するのは予想通り、「分裂の働き、つまり見つめる主体の分裂」である。ディディ゠ユベルマンが私の議論にどれほど真剣に向き合っているか(the degree of seriousness of […] engagement)はある短いくだりから推して知ることができる。スミスを引用したうえで解説するくだりで、彼はまずスミスが自身の彫刻を「演劇的」と見てはいなかったと前提して(私はスミスがそう見ていたなどとは言っていないし、いずれにせよスミスがその観点で何を考えていたかは重要ではない)、さらにそれら彫刻が「没入の記念碑」として見える(明らかに批判がそう命ずるということだ)と付言して、これは私が提示している対立構造を念頭に置いていると註釈で述べる。この対立構造(「芸術と客体性」と『没入と客体性』を混ぜ合わせている)はしたがってこの場合には「無効である」。(「私の美術批評へのイントロダクション」)

 

 なるほど「激しい」。フリードの反論点を整理すると、ディディ゠ユベルマンは(1)自信過剰である。(2)虎の威を借りている。(3)充分真剣でない。このうち前者二つは措くとして、三つ目の点がとくに検討に値する。仔細に見れば、(3-1)スミス自身の理解はフリードの議論の根拠とは無関係であり、それを持ち出してもフリードへの反論にはならない。(3-2)「没入のモニュメント」という解釈の提案を以て、フリードの理論における対立構造を無効と診断している。

 フリードはこの二点を粗述するだけで、ディディ゠ユベルマンの「真剣さ」が不充分であることは「反論するまでもなく」示せると判断したのであろう。合わせて検討しよう。

 

フリードの不満、ディディ゠ユベルマンの不満

 

 ディディ゠ユベルマンはスミスが自身の彫刻のもつ印象を語った発言を引いたうえで、次のように記す。

 

トニー・スミス自身の持っていた見方においては、これらの大きな黒色の物体は「演劇的」ではなかったのと同様に「特殊な」ものでもなかったということが、それゆえ理解される。またさらにわれわれは、多くの点でそれらを「没入の記念碑」のごとく、そして純粋なメランコリー的孤独の記念碑のごとく検討することができるのかもしれない。(101)

 

これは、マイケル・フリードが用いている対立をさらにもう一度取り上げたうえで、その対立がこの場合には無効であることを示唆するためである。〔…〕トニー・スミスの方は、自分の作品と演劇性との間のいかなる関係に対しても反論していたのであった。(276:上記箇所への註)

 

 スミスの「反論」の典拠は明示されていない。ディディ゠ユベルマンがこのとき参照しているスミスのカタログ「Two Exhibitions of Sculpture」は1966年から67年1月にかけて開催された二つの展覧会に際した刊行物である。文中に「演劇性」の語は登場しないが、そもそもフリードの「芸術と客体性」が掲載されたのは同年の「アートフォーラム」夏号(6月刊行)であるから、ミニマル・アートにたいするフリードの「演劇性」批判が反映されないのは当然である。他に本書でディディ゠ユベルマンが参照に挙げるスミスの文献は、ルーシー・リパードとの対談(1971)だが、ここにもフリードや「演劇性」の文字はない。

 とはいえこの訝しさは措いてよい。問題はスミスの〈態度〉を両者がどう扱っているかだ。ディディ゠ユベルマンは「トニー・スミスの考え自体では、夜そのものが交互になりうるように、そのイメージから」立体作品を制作したと理解している。しかし第七節でディディ゠ユベルマンは、フリードの「演劇」をベンヤミンの「アウラ」と類義と解している(162)。同節でベンヤミンに従って、対象からその可視性を超えて広がるイメージをアウラと類比し(141)、アウラ的イメージこそ「われわれを見つめる」ものだと認める以上(153)、演劇性はイメージの弁証法的性質と範列的に類比されているはずだ。よってスミスが「イメージから」作品を作りながら、その物体が「演劇的」ではない見方を持っていた、というディディ゠ユベルマンの記述はちぐはぐに聞こえる。少なくとも〈スミスが自身の作品の演劇性を認識していなかった〉と理解するほかない。

 だがこの不可解さ自体もまた措いてよい。フリードが槍玉に挙げるのは、そのような〈前提〉の妥当性や矛盾ではなく、あくまでこの箇所がフリードへの批判だとして「真剣」さを欠く点だ。

 フリードによればこのような〈前提〉はそもそも「重要ではない」。フリードが、ディディ゠ユベルマンにとってこの〈前提〉がフリード批判に関して「重要」であると捉えるのは、直後の「没入の記念碑」テーゼに直結するからであろう。原文において二文を繋ぐフレーズは「Et d’ailleurs」であり、これだけで二文の関係を推量することは難しい。内容を穿つ必要がある。

 ディディ゠ユベルマンは「没入の記念碑(monuments d’absorption)」という語をどのように提起しているのか。「absorption」の語は本書でこの一度しか登場しない(正確には「absorbé」が一度登場するが、無関係であるのは明白なので無視する)。したがって「没入の記念碑」は、直前のスミスの発言を解釈して用いた語だといえる。それはおそらくこの箇所である。

 

それらの作品は本性上、生気がないように、あるいは眠っているように見える──そしてそうであるからこそ、それらがそこにあることを私は好むのだ。(100)

 

 これはフリードは『没入と演劇性』で「没入」と名付ける性質に一致する。フリードは絵画に描かれた人物が、その前に立つ鑑賞者の存在に気づいていない、もしくは完全に忘れているように見える性質を「没入」と呼ぶ。眠る人物は没入の典型である。ディディ゠ユベルマンはこれを念頭に、スミスの発言を「没入」の表現だと解釈した。ジャッドがミニマル・アートに見落とした擬人主義をフリードが指摘するように、フリードがスミス作品に見落とした没入をディディ゠ユベルマンは指摘するのだ。

 わかりやすく書き換えよう。〈スミスが自身の作品を「演劇的」と考えていなかった。「Et d’ailleurs」、スミスは自身の作品を「没入」のようにさえ述べていた〉。この箇所に、フリードの「没入と演劇性」の「対立構造」の「無効」を指し示す意図があるならば、「Et d’ailleurs」は「それどころか」「裏腹に」というニュアンスだといえる。ディディ゠ユベルマンはこう考えている。フリードは没入と演劇性とを対立させ、ミニマル・アートに後者を割り振った。しかし実際はスミス自身は演劇性どころか没入を見出している。フリードの対立構造は骨抜きになる。

 ようやくこの点へのフリードの不満が明快に理解できる。(3-2)「芸術と客体性」でミニマル・アートに指摘した「演劇性」と、『没入と演劇性』で絵画の性質として論じた「演劇性」とを混同し、それぞれにおける対立項も混同している。(3-1)スミスが逆の美的判断をしていようと、即座にフリードの論理への反駁にならない。(3-2)に関しては、フリード自身「芸術と客体性」でジャッドやモリスの見解の「違いを無視」(「芸術と客体性」)した覚えがある以上、表立って追及はしづらいかもしれない。とはいえこの「混同」への不満は明白である。

 たしかにフリードは『没入と客体性』冒頭で、演劇性の概念に関して二つの議論は「パラレル」だと述べている。しかしディディ゠ユベルマンへの〈不満〉が記されたのと同じ1996年では、両テクストの関係を次のように説明している。

 

もうひとつ強調しておくべきは、演劇性に反対する「芸術と客体性」の立場が、当時〔1960年代アメリカ〕の状況に限定されたものだという点だ。このエッセイの主張は、そこで演劇と呼ばれるものがそのとき(now)芸術の敵だったということである。〔…〕この問題全体をさらに複雑にさせたのは、鑑賞者の意識のうち悪い種類のものを指す侮辱的用語としての演劇性という論点が、もともと十八世紀中盤ごろのフランスで現れたという事実である〔…〕。少なくともこれが意味するのは、「芸術と客体性」における反演劇の主張が、1967年における抽象とミニマリズム芸術との対立よりも広い歴史的領野に属するということだ。この領域にはまだまだ発見すべきものがあると感じて調査している。(「ミニマリズムとポップ以降の美術論」)

 

 この主張に基づいて、フリードの不満を再構成しよう。演劇性は1960年代においてはモダニズムと、十八世紀フランスにおいては没入と対立していた。二つの対立構造は同じ広い歴史的観点の一部ではあるが、歴史的特殊性を無視して混同すべきではない。したがって、1960年代においてスミスの彫刻が「没入的」であろうと、それが演劇的でない根拠にはならないし、フリードの理論に対する反駁にならない。

 一応、フリードが「スミスがそう〔自分の作品を演劇的なものとして〕見ていたなどとは言っていない」という否定についても検証しよう。「芸術と客体性」第五節で、ミニマル・アートの擬人主義について、フリードはスミスが自分の作品の「存在感」について述べた発言を引いている。ではフリードの否定は虚言だろうか。おそらくそこまでは言えない。スミスの言明は、ミニマル・アートの演劇的な「存在感」の、「直截的」で「珍しい」言及のひとつとして引かれるだけであり、直前の第四節で展開されるように、フリードの美的判断は基本的に作品に依拠しているからだ。

 ともかくもこうして、この箇所に関するフリードとディディ゠ユベルマンの論争は整理できた。ディディ゠ユベルマンはイメージの絶えざる「弁証法」を重要視し、「美学的な問い」へのフリードの固執をなにより嫌忌する。つまりディディ゠ユベルマンの敵はフリードの問題設定であり、それによって導かれた体系や構造ではない。だがこの箇所でディディ゠ユベルマンは余力で後者を内側から攻撃しようとしており、そのため著作ごとの構造を混同する。「真剣さ」の足りない攻撃のほうが無効とみなされる。

 フリードは、ディディ゠ユベルマンの一部の議論の不備を指して「真剣さ」のたかが知れていると示唆するだけで返答とした。「弁証法的イメージ」の概念自体に批判を加えない以上、ディディ゠ユベルマンに対して文字通り「返答しない」と述べたわけでなくとも、実質的にそうであるのは事実だろう。「知的な雰囲気」すなわちトーンをあげつらって、局所的反駁をもって全体への批判に代える素振りは、フリードもときどき用いる表現を借りれば「論点のすり替え(red herring)」である。

 

***

 

フリードの空間、ディディ゠ユベルマンの空間

 

 他方で、ディディ゠ユベルマンの語り口の荒っぽさはたしかに注意が必要である。たとえば「演劇性」の理解はフリードとすれ違っている。いちど確認したように、ディディ゠ユベルマンは演劇性を、現前性(目の前にいること)と擬人主義(物体が人体やその所作のようかであること)の組み合わせとして合点している。だが「芸術と客体性」におけるこれらの語彙は、当時フリードが熱心に評価していたスタンリー・カヴェルの現象学的な演劇論を無視して解釈できない。

 フリードは芸術が「劇場という条件(the condition of theater)」に近づくと堕落すると述べるが、このフレーズはカヴェルの演劇論「愛の回避」に登場する。カヴェルは、舞台上の人物にとって客席の暗闇に座る人々は「目の前にいない(not in their presence)」が、対照的に観客にとって舞台上の人物は「目の前にいる(in our presence)」と述べる。各存在者が互いにとって「前にいること(presence)」の非対称な関係を実現した空間が「劇場という条件」である。演劇性(劇場性)は、私たちが暗闇にとどまることで発生する。フリードによれば、ミニマル・アートの「presence」は、その形態のもつ人体や人間のような印象によって操作されている。

 

実際、そのようなオブジェクトから距離を取っていることは、私が思うに、誰かが黙ってそこにいて(the silent presence)、距離を取ってきたり、詰めてきたりすることに、全く似ていないでもない。リテラリズム〔フリードはミニマル・アートの感性をこう呼ぶ〕のオブジェクトに突然出会う経験は──たとえばなんだか暗くなった部屋で──このように強力に、たとえ一瞬のことであったとしても(if momentarily)、不安を煽るものなのだ。(「芸術と客体性」)

 

 すなわちミニマル・アートの場合、「人間のような形態と様態(anthropomorphism)」によって演出された、その物体が「そこにいること(presence)」の関係によって、その演劇的な「条件」が構成される。ディディ゠ユベルマンの記述は、演劇性を俳優のような(準)主体性に縮減してしまい(55–56)、空間的な配置の問題を後景に追いやってしまう。ディディ゠ユベルマンはスミス《Die》のもっぱら黒さやスケールに言及するものの、鑑賞者と共有された空間に「いること(presence)」はあまり触れられない。ディディ゠ユベルマンにおいて触知や到達は、視覚における予示や心理における感動の様態にもっぱら還元されてしまう(16, 155)。

 フリードとディディ゠ユベルマンの空間の概念は、メルロ゠ポンティを経由して通ずるところはあるものの、違いがある。両者はいずれも「距離」の概念を重視するが、だからこそ力点の差異も目立つ。フリードにとって距離は、状況において取ったり詰めたりする身体的関係である。ディディ゠ユベルマンにとって距離は、イメージにおいて避けがたく両義的に発生する二者関係である。ディディ゠ユベルマンは「イメージ」の範列を「イマーゴ」すなわち先祖の肖像で締めくくる。たいしてフリードが後年『カラヴァッジョの局面』(2010)で展開する自画像論は、画家の周りに空間的に配置された「装置(dispositif)」を俎上に上げる。

 視覚と身体は当然両者において分かちがたく絡み合っているが、以上のようなニュアンスの差異を見落としてはならない。ディディ゠ユベルマンの「雰囲気」を批判するとすれば、そのようなパラディグマティックな構成に、フリードはじめさまざまな概念がモンタージュされるさい、そうしたニュアンスの差異が削られ、均されかねない点だ。それがパフォーマティブにも正当化されやすい点はゆめゆめ気をつけたい。

 

イメージという言葉は、理論的には弁証法という言葉とは正反対のことを意味します。そのことこそが私を惹きつけるのです。私が好むのは、通常ならば両立しないものを結び合わせる概念的な発明です。〔…〕ここにあるのは、別様の思考を可能にする、きわめて意義深い概念的なモンタージュです。言い換えればそれは、境界を横切ることを可能にする概念的な場です。(「イメージを思考する」)

 

 ディディ゠ユベルマンはこの点こそ、芸術というカテゴリーの境界線を重視する「マイケル・フリードとは異なる」と述べる。

 

フリードの倒錯、ディディ゠ユベルマンの倒錯

 

 ところで書評子の目を引いた表現がある。本評ですでに引用した記述にそれは現れる。

 

リテラリズムのオブジェクトに突然出会う経験は──たとえばなんだか暗くなった部屋で──このように強力に、たとえ一瞬のことであったとしても(if momentarily)、不安を煽るものなのだ。(フリード)

 

われわれが同語反復的にも、私が見ているものを私は見ていると言うことができるのは、イメージに関するわれわれの可視的確信の空間の中に──たとえ一時的なものであったにせよ(fût-elle momentanée)──施された開けであり喪失として自らの視覚性を課すという力能を、われわれがそのイメージに対して否認する場合だけである。(ディディ゠ユベルマン)

 

 前者の「if momentarily」をディディ゠ユベルマンは「fût-ce momentanément」と訳しており(原著87ページ)、おそらく意図的に流用した表現である。一見わかりづらいが、この表現はほとんど同じ事態を指している。主体を不安が「一瞬でも」襲う。イメージが可視的確信の空間のなかに視覚的両義性を「一瞬でも」課す。

 ここで注目したいのは「否認する(dénier)」という語である。フロイト精神分析の用語「否認」のよく用いられるフランス語訳は「dénégation」だが、本書ではほぼ同義に用いられている。第二節で同語反復の態度はこう説明されている。

 

この態度には、充溢に対する嫌悪ないし否認(dénégation)のようなものが認められる。〔…〕しかし、この態度にはまた、空虚に対する真の嫌悪ないし否認(dénégation)も認められる。〔…〕後述するが、このような態度──二重の否認(déni)──は、見るという経験を、同語反復の実践に仕立て上げる。(26)

 

 ディディ゠ユベルマンは「たとえ一瞬のことであっても」という言い回しを梃子にして、精神分析的含意を帯びた「否認」の語をフリードに適用している。否認は存在を認めながらも受け入れない――「それを見ようとはしない」(59)──、倒錯者の防衛機制である。ディディ゠ユベルマンはフリードのジレンマを、否認によるファンタスムの一種と捉えている。現前性と現在時性とのジレンマは「想像的な構造」のもとにそれらの用語を「鏡像的」に保持させる点で「倒錯的」、そして「偏執狂的」である(64)。

 ここでカトリー・シャニョンの近刊『美術史家が女になる』(2022)を手短に紹介する。シャニョンはサラ・コフマンに倣って、理論を形づくる認識とファンタスムは切り離せないという観点から、フリードとディディ゠ユベルマンそれぞれの著述を「症例」とみなして、理論のシステムを形づくる「倒錯」的なダイナミズムを分析する。詳細は割愛するが、シャニョンも「芸術と客体性」のフリードに、演劇性をヒステリー的に検知するゆえの「自己分裂」を見いだす。ディディ゠ユベルマンの指摘した分裂であり、これを最初に迅速に指摘したのはロバート・スミッソンであった(「編集者への手紙」)。そして検知の徹底によって批判・否認する態度は「偏執狂的」である。

 先ほど本評は、フリードにおける空間の概念が「身体的」であると述べた。身体の安定は想像的に、つまり鏡越しの見た目で信じ込まれたにすぎない。だからこそ真っ先に侵襲される。

 

(私が批判するのは、リテラリズムが鑑賞者の身体へと指し向いていることだが、これはけして、そのような身体性の居場所など芸術にないということではない。むしろリテラリズムは身体を演劇化し、永遠に舞台に上げ、自分にとっても不気味で不透明なもの、空っぽにして、表現性を弱わせ、有限性を、ある意味で人間性を否定する──などなど。こう言えたかもしれない。リテラリズムの中には、身体に関して曖昧に怪物的な何かがある)。(「私の美術批評へのイントロダクション」)

 

 では「症例」ディディ゠ユベルマンはどうか。アビ・ヴァールブルクを「母型」としたディディ゠ユベルマンの弁証法が、つねに働いている矛盾を同定・助長するフェティッシュな機制であるとシャニョンは指摘する。矛盾の両項に置かれるのがヒステリーとメランコリーである。第一節の「死せる母」や「墓」から第十節の「門」まで、ディディ゠ユベルマンはたえず、喪われたはずのものを探知するメランコリーをつねに引っ張り出し、すでに有るものを探知したヒステリーに対置する。文字通り「喪」「喪失」の概念を持ち出す点は言及するまでもない(そのマザー・コンプレックスについてはぜひシャニョンの分析を参照していただきたい)。本書『われわれが見るもの、われわれを見つめるもの』もまた、シャニョンが指摘するとおり「完璧に弁証法的」な題名である。

 ジャン・クラヴルールが「倒錯のカップル」(1967!)で提起した問いが、ディディ゠ユベルマンにふさわしい。

 

幻覚の場については、それが出現するための場所を設置することを決めるだけでは充分でないのは明らかだ。幻覚は、そのような狙いの中で持続されなくてはいけないし、それには困難がつきものだ。この困難を前にしたときこそ、倒錯者が特有の才能を示す。必然的にその動きは〔倒錯者の活動や知の〕不毛さのなかに縛られるが、このことが、彼を観察し、彼が眩惑させなければならないものの目の前で(aux yeux de ceux qui l’observent et qu’il doit éblouir)、とりわけ強烈な光を放つことを求める。さて、私たちはここで取り上げなければいけない困難がもうひとつある。母親にペニスがないことを子どもが発見する場面の解釈にもういちど戻ろう。というのもきわめて重要な点が解明されていないからだ──まさにP・オラニエがこだわった、〈母親は自分を見つめる子どもをどんな目で見るのか(de quel œil la mère voit-elle son enfant qui la regarde?)〉という点である。(「倒錯のカップル」)

 

 動詞に注目しよう。ディディ゠ユベルマンは、自分たちが「見る(voir)」対象がメランコリーの対象となって自分たちを「見つめる=関わる(regarder)」と割り振っていた。だがクラヴルール(オラニエ)の問いでは、母のペニスの不在をメランコリックに「見つめる=関わる(regarder)」子どもを母親が「見る(voir)」と割り振られる。なぜディディ゠ユベルマンは、自分のほうではなく相手のほうが「見つめて=関わって」くると考えるのか。「見つめる=関わる」ことに「見る」ことは、実際にはどう関係するのか。

 

フリードのパンクチュエーション、ディディ゠ユベルマンのパンクチュエーション

 

 ディディ゠ユベルマンは第三節で、モダニズム(フリード)とミニマリズム(ジャッド)の両陣営からステラが「同盟者」とみなされた点に注目する。ステラの有名なフレーズ「あなたが見ているものはあなたが見ているものである(What you see is what you see)」が両陣営に役立つ共通点だったためである。

 

したがって、この〔ステラのフレーズの〕同語反復的な形式がこのジレンマ全体の境界面を示している。それゆえ、この点にこの二項対立的なシステム全体の投錨点があり、また、二重化された同一性というかたちで表明される論理体ないし存在論的な安定性を要求するこのシステムの公理の系列がある。視覚的な物体の安定性(それはそれであるwhat is what)、見る主体の安定性(あなたはあなたであるyou are you)、見るに際しての時間の断層なしの安定性と瞬間性(あなたが見る、あなたが見るyou see, you see)というように。(68)

 

 コピュラの存在動詞(is, are)がカンマ(,)に置き替わった点に着目しよう。存在動詞が維持されている前者二つの英文は、物体と主体の「安定性」を表象する。あなたはあなた、それはそれ、という主客二者の安定性は、その相互関係自体の安定も意味する。

 

ミニマリズムのこの物体のこの物(whatあるいはthat)は、客体として、主体としてのあなたと同じく明白に、同じく不意に、同じく強く、また特殊な仕方で存在する(is)と語る必要があったからだ。(51)

 

 これにたいして三つ目の英文は「時間の断層なしの安定性と瞬間性」を表象する。「同一性」を表象していた存在動詞の脱落自体より、それがカンマに置き換わったことが重要である。カンマは何の瞬間なのか。カンマは「たとえ一瞬のことであっても」沈黙であり、その前後を分断する。だがディディ゠ユベルマンはそこに「時間の断層なし」と言っている。カンマによる断層ある反復が断層なき瞬間を意味するとディディ゠ユベルマンは言う。

 イメージの瞬間的弁証法は、それを語る時間性の否認によって共犯的に成り立つ。このようなカンマはすでに本書の題名に挿入されている――「われわれが見るもの、われわれを見つめるもの(Ce que nous voyons, ce qui nous regarde)」。

 したがってディディ゠ユベルマンにおいて、「見る」局面と「見つめる=関わる」局面とは、時間的断層すなわち時間の階層化を否認されることで関係づけられている。芸術は人間が自身を見るからこそ関わり返すというわけではないし、母は子どもが自分に関わるから見返すというわけではない。ディディ゠ユベルマンは、コピュラではなくカンマで繋ぐことによって、イメージの弁証法を下支えする両者が必ず同時発生するファンタスムを夢見る。ディディ゠ユベルマンはその形成に、パンクチュエーションによって順不同のパレードを為す言説を対応させる。海(mer)、母(mère)、見よ(vide)、空虚(vide)、死(die)、賽(die)、ベンヤミン、弁証法、往復、空間、棺、記憶、空虚、距離、律動、デリダ、ダンス、スミス、喪失、母、墓、カフカ、かさばり……つまり、フリードはハイデッガー流のダブルミーニングという終着(terminus)に、ディディ゠ユベルマンは洒落による乗り換え(transfer)に読者を連行する。

 

そこではイメージに認識論的信頼が与えられると同時に、言葉に形態的・創造的信頼が与えられるのだ。(188)

 

 

参照文献

 外国語文献からの引用は、『われわれが見るもの、われわれを見つめるもの』を除き書評子が訳出した。既訳があるばあい適宜参照した。

 

  • ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(2024)『われわれが見るもの、われわれを見つめるもの』松浦寿夫・桑田光平・鈴木亘・陶山大一郎訳、水声社〔原著:Georges Didi-Huberman (1992), Ce que nous voyons, ce qui nous regarde, Paris: Les Éditions de Minuit〕

  • ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(2011)「イメージで思考する:ジョルジュ・ディディ゠ユベルマンに聞く」聞き手=橋本一径、『photographer’s gallery press』no. 13、photographer’s gallery、2015年、86-110頁

  • ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(2012)『時間の前で:美術史とイメージのアナクロニズム』小野康男・三小田祥久訳、法政大学出版会〔原著:Georges Didi-Huberman (2000), Devant le temps: Histoire de l’art et anachronisme des images, Paris: Les Éditions de Minuit〕

  • Stanley Cavell (1969), “The avoidance of love: A reading of King Lear” in Must we mean what we say? Updated edition, Cambridge: Cambridge University Press, 2002, p. 246–325. 〔邦訳:スタンリー・カヴェル「愛の回避:『リア王』を読む」中川雄一訳、『悲劇の構造:シェイクスピアと懐疑の哲学』、春秋社、2016年、69-201頁〕

  • Katrie Chagnon (2022), Le devenir-femme des historiens de l’art: Michael Fried et Georges Didi-Huberman〔美術史家が女になる〕, Montréal: Les Presses de l’Université de Montréal.

  • Jean Clavreul (1967), “Le couple pervers〔倒錯のカップル〕” in Piera Aulagnier et al. Le désir et la perversion, Paris: Éditions du Seuil.〔邦訳:ジャン・クラヴルール「倒錯のカプルと他者の眼」佐々木孝次訳、ギイ・ロゾラート編『欲望と幻想:精神分析における構造主義』サイマル出版会、1970年、101-144頁〕

  • Michael Fried (1967), “Art and Objecthood” in Artforum, vol. 5, no. 10 (Summer 1967), p. 12–23.〔邦訳:マイケル・フリード「芸術と客体性」川田都樹子・藤枝晃雄訳、『批評空間1995臨時増刊号:モダニズムのハード・コア』、太田出版、66-99頁〕

  • Michael Fried (1980), Absorption and Theatricality: Painting and Beholder in the Age of Diderot, London: The University of California Press〔邦訳:マイケル・フリード『没入と演劇性:ディドロの時代の絵画と観者』伊藤亜紗訳、水声社〕

  • Michael Fried et al. (1996), “Theories of Art after Minimalism and Pop〔ミニマリズムとポップ以降の美術論〕” in Hal Foster ed., Discussions in Contemporary Culture, No. 1, p. 55–87. 〔邦訳:マイケル・フリード、ロザリンド・クラウス、ベンジャミン・ブクロー「ミニマリズムとポップ以降の美術論」杉山悦子訳、『批評空間1995臨時増刊号』172-191頁〕

  • Michael Fried (1998), “An Introduction to My Art Criticism〔私の美術批評へのイントロダクション〕” in Art and Objecthood, p. 1–74.

  • Michael Fried (2010), The Moment of Caravaggio〔カラヴァッジョの局面〕, New Jersey: Princeton University Press.

  • Robert Smithson (1967), “Letter the Editor (1967)” in Jack Flam ed., Robert Smithson: The Collected Writings, Berkeley: The University of California Press, p. 66–67.

  • Tony Smith: Two Exhibitions of Sculpture, Wadsworth Atheneum, Hartford / The Institute of Contemporary Art, University of Pennsylvania, 1966–1967.

  • Tony Smith: Recent Sculpture, New York: Knoedler, 1971.

閲覧数:413回

最新記事

すべて表示

ジャン=ニコラ・イルーズ『マラルメ 諸芸術のあわい』/ 森本淳生

ボードレールが「香り、色彩、音が答えあう」「コレスポンダンス」を歌って以来、19世紀後半のいわゆる象徴主義的思潮においては、文学・美学・音楽といった諸芸術の関係がたえず関心の対象となってきた。日本でも近年、日仏会館で「芸術照応の魅惑」をめぐるシンポジウムが数度にわたって開催...

ジャック・ランシエール『詩の畝──フィリップ・ベックを読みながら』(髙山花子訳、法政大学出版局、2024)/ 鈴木亘

哲学者ジャック・ランシエール(1940-)による、詩人フィリップ・ベック(1962-)を論じた著作の邦訳である。ランシエールとは、ベックとは誰か、そして本書の成り立ちや構成、概要については、あとがきを兼ねた「訳者ノート」に端正にまとまっているので、ここでは繰り返さない。以下...

クロード・ピショワ/ミシェル・ブリックス『ネルヴァル伝』(田口亜紀/辻川慶子/畑浩一郎訳、水声社、2024年)/ 鹿島茂

日本と違って欧米では翻訳者の地位はかなり低く、本の表紙に訳者名が記されることすらない。そのせいか、フランスで翻訳者から詩人・小説家・劇作家に転じて名を成した人は極端に少ない。詩人のサン・ジョン・ペルス、小説家のヴァレリー・ラルボーくらいか。...

© Copyright 2016 

by Centre Japonais d’Études Valéryennes

bottom of page