【『フーコー文学講義──大いなる異邦のもの』(柵瀬宏平訳、ちくま学芸文庫、2021年)書評会(2022年3月26日)の記録】
本日は、私が翻訳し、二〇二一年に刊行された『フーコー文学講義:大いなる異邦のもの』に収録された「サドに関する講演」についてお話しさせていただきます。「サド講演」は、一九七〇年ニューヨーク州立バッファロー校で行われた二回にわたる連続講演です。この講演は、質量両面においてフーコーによって行われた最も本格的なサド読解であると言うことができます。加えて「サド講演」は、フーコーが一九六〇年代から一九七〇年代にかけて行ったサド解釈の変遷においても重要な位置をしめています。一九六〇年代、フーコーは様々な機会でサドについて言及しましたが、その際サドは、近代の人間学的思考の限界を示す侵犯の思想家として積極的に評価されていました。これに対して、一九七五年に発表された「サド、性の法務官」においてサドは、規律権力の枠組みに囚われた性の法務官として否定的に評価され、翌年に刊行された『知への意志』においても、キリスト教的告白の伝統の末裔として位置づけられるに至ります。一九七〇年に行われた「サド講演」は、一九六〇年代の肯定的なサド読解と一九七〇年代の否定的なサド読解の転換点に位置しているのです。
さて、それでは「サド講演」においては一体何が論じられているのでしょうか。「サド講演」のテーマは、サドにおける欲望と真理の関係です。フーコーによれば、「『ジュスティーヌ』の物語において問題になっているのは、欲望の実践において、[…]真理であるような何ものかを出現させること」[1]なのです。
サドの小説を通じて、真理と欲望の関係について論じるというこうしたフーコーの問題設定は、「サド講演」と同年にコレージュ・ド・フランスで行われた『〈知への意志〉講義』と密接に関連しています。この講義においてフーコーは、ニーチェに依拠しつつ、真理への意志の系譜学を企図しました。その手始めとしてフーコーは、アリストテレス『形而上学』の冒頭の一節(「すべての人間は、その自然本性によって、認識への欲望を持っている」[2])を詳細に分析し、そこに真理を媒介として欲望を認識のうちに囲い込むという哲学的操作を看取します。真理と認識、欲望の関係をめぐってアリストテレスによってなされたこうした操作は以後長きにわたり西洋哲学の歴史を支配することになりますが、フーコーによれば、ニーチェが試みたこととは、欲望を、そうした真理と認識の包含関係から解放することだったのです[3]。ところで、「サド講演」においてフーコーは、サドを「われわれの文明において欲望がずっととらわれていた真理に対する従属から、欲望を実際に解放した人物」[4]として捉えています。このようにフーコーは、欲望と真理が取り結ぶ関係の問い直しという点において、サドとニーチェの間に一種の同盟関係を認めているわけで、この点については後ほど詳しく見てみることにします。
さて、それでははじめに、「サド講演」の第一回講演についてお話しします。この講演においてフーコーが分析するのは、サドのエクリチュール論です。ところで二〇世紀半ばのフランスにおいて、サドのエクリチュールに着目したのはフーコーだけではありません。例えばブランショは、一九六九年に刊行された『終わりなき対話』に収録されたサド論「蜂起、書くことの狂気」において、「[サドの]作品において、常軌を逸した運動の真実は書くという運動によって探究される」[5]と述べています。またフーコーの「サド講演」、とりわけ第一回講演に大きな影響を与えたクロソウスキーは、一九六七年に加筆修正を加えて再刊された著作『わが隣人サド』に収録された論文「悪虐の哲学者」において、サドは、エクリチュールを通じてソドミーという倒錯的行為を執拗に反復することで、思考の恍惚をもたらすと論じていました[6]。フーコーはこうした議論を踏まえつつ、サドにおけるエクリチュールの特異性を、欲望と真理の関係という、一九七〇年代初頭の彼自身に固有な問題系のうちで分析するのです。
サドのエクリチュールについて論じるにあたり、フーコーが取り上げるのが、ジュリエットが友人のリベルタンであるドニ伯爵夫人に倒錯の手解きをする『ジュリエット』の一節です。少し長くなりますが、重要な箇所ですので、少し省略しつつ引用します。
二週間の間ずっと色欲に関わらぬようにしなさい。[…]時期が来たら、真っ暗な部屋で、静かに落ち着いて横になりなさい。そこで、それまでの間、自分が禁じてきたあらゆることを思い出しなさい。それからあなたの想像力を自由にして、様々な錯乱を段々と思い描きなさい。[…]妄想があなたの感覚をとらえて、自分が行為に及んでいるのだと信じ込み、あなたはメッサリナのように精を放つことになるでしょう。そうしたら、すぐにろうそくにふたたび火を灯し、一覧表の上に、いましがたあなたを燃え上がらせた錯乱の種類を、その詳細をよりいっそう激しいものにし得るような諸々の状況を一切書き写すのです。それを終えたら、眠りなさい。翌日、自分のノートを読み返して、作業を再開し、[…]想像力が、自らの興奮を高めるべくあなたに思い付かせ得る全てのことを付け加えなさい。[…]それから実行に移しなさい。[7]
さて、この箇所に関してフーコーは、クロソウスキーを暗黙裡に参照しつつ[8]、サドにおけるエクリチュールにおいて問題になっているのは、他者を説得することを目指す理性的な言語ではなく、性的幻影であると指摘します。ところでもしそうだとすれば、以下のような問題が浮上してくることになります。すなわち、「もし純然たる性的幻影を紙の上に書き写しているだけだとしたら、どうして[サドは]真理を語っていると称することができる」[9]のか、という問題です。フーコーはサドのエクリチュールの特異性について分析することで、この問題に答えるとともに、サドにおいて、欲望と真理とがいかなる関係を持つのかを明らかにするのです。
それでは、サドのエクリチュールの特異性とは一体どのようなものなのでしょうか。フーコーによれば、サドのエクリチュールは四つの機能を持っているのですが、それらに共通するのは、エクリチュールが、欲望に課せられた限界を消去し、欲望を無制限化するという点です。この論点は、一九六三年の論文「侵犯への序言」において、「カントとサド以来われわれの文化に本質的な体験」として、「限界と侵犯との体験」[10]について語っていたことを想起させますが、この箇所においてフーコーはそれをエクリチュール論という形で展開することになります。
では、具体的に見ていくことにしましょう。サドのエクリチュールの第一の機能は、想像力と現実の間の境界を消去することです。フーコーによれば、先ほど引用した箇所において現実は、「それから実行しなさい」という内実を持たない台詞に還元され、ほとんど無化されてしまいます。その結果、性的想像力に歯止めをかける外的制約となるような現実という審級、フロイト的な用語を用いるならば、現実原理が実質上排除され、想像的なものの限界が無制限化されるのです。
サドのエクリチュールの第二の機能とは、享楽(「精を放つ」)を反復することで、享楽に課されられた時間的限界を消去することです。エクリチュールによる反復を通じて、享楽は身体的な有限性から解放されるわけで、この意味においてフーコーは、サドにおいてエクリチュールとは「反復された享楽の原理」[11]であると述べています。こうした分析は、「悪虐の哲学者」においてクロソウスキーが、サドがエクリチュールによって倒錯行為を反復することで、身体的なオルガスムではなく、思考の恍惚をもたらすことを企図していたのだと論じていたことを思い起こさせます。
さて、サドのエクリチュールの第三の機能とは、エクリチュールの反復、つまり一度書いた後、翌日読み直してさらに書き直すという作業を通じて、性的想像力を激化させるという点です。「想像力が、自らの興奮を高めるべくあなたに思い付かせ得る全てのことを付け加えなさい」というわけで、その結果、性的想像力それ自体の内的限界が乗り越えられることになるのです。
このようにサドのエクリチュールは、性的想像力に課せられた外的限界と内的限界をともに消去し、リベルタンたちによって犯される犯罪を極限まで激化させるわけですが、その結果、逆説的なことに、許されることと許されないことの間の境界、つまり非犯罪と犯罪の間の境界それ自体が消去されることになります。もはや許されぬことはないのだから、犯罪などそもそも存在しない、というわけです。これがサドのエクリチュールの第四の機能です。こうしてサドのリベルタンたちは、犯罪者という一般的な法的カテゴリーで捉えることのできない、絶対的に孤独な単独者となるわけですが、フーコーは、バタイユを踏まえつつ[12]、こうした単独者としてのリベルタンを「不規則な実存」[13]と呼んでいます。
さて、それではエクリチュールのこうした諸機能は、どのようして欲望と真理とを結びつけるのでしょうか。先ほど見たように、サドのエクリチュールは欲望と現実の間にある境界を消去するものだったのですが、その結果として、欲望を、現実にそぐわない偽なるものとして退ける現実原理が不在になります。あるいはフロイト的概念をさらに参照するならば、現実吟味が機能不全に陥る、と言ってもよいかもしれません。その結果、性的想像力だけが自らを検討する=真なるものとなす(vérifier)唯一の審級となり、その結果、それがどんなに現実離れしたものであれ、あらゆる幻想が真なるものになります。つまり、欲望と現実との間の対応という形での真理が無効化され、あえてスピノザ的な言い方をするならば、欲望それ自体が自らの真理を示す自己指標(index sui)になるわけです。ところで、真理と幻想の関係をめぐるこうした議論は、「サド講演」の翌年に行われた「ニーチェ講義」においてフーコーが、ニーチェが真理と仮象の区別を消去することで、「仮象が現実である」[14]と論じるにいたったことを強調していたことを想起させます[15]。「サド講演」におけるフーコーの真理概念は、仮象の力動性のうちに真理の現出を見てとったニーチェ的な真理論に通じるものがあるのです。
エクリチュールを通じた欲望と真理の結びつきに関して次に問題になるのが、欲望の永遠回帰とでも呼ぶべき論点です。先ほど見たように、エクリチュールは享楽を反復することで、欲望の時間的な限界を消去したわけですが、それによりエクリチュールは、「反復の永遠な世界のうちに欲望を導き入れる」[16]ことになります。こうして永遠に回帰する欲望は、すぐに消え去ってしまう一時的で儚い存在ではなく、つねに同じくとどまるものという意味で真なるものになります。こうした論点のうちに、ニーチェの永遠回帰概念を見てとることはそれほど難しくないでしょう。ちなみにフーコーのみならず、『我が隣人サド』においてクロソウスキーも、「サドは[…]ニーチェが到達することになる道を開くのである。サムサラの受容――同一者の永遠回帰の受容という道を」[17]と論じ、サドのうちにニーチェ的な永遠回帰を読みとっているのですが、こうした解釈は、二〇世紀半ばのフランス思想におけるサド読解の一つのトポスだと言えるかもしれません。
エクリチュールを通じた欲望と真理の関係について最後に問題になるのが、欲望の至高性という論点です。さきほど確認したように、エクリチュールは欲望を激化することで、許されることと許されないことの限界そのものを消去しました。つまり、欲望に歯止めをかけ、抑圧するような外的な審級は存在しなくなり、こうして欲望は、自らに固有な法だけを有する絶対的な主権者となります。もはや欲望にとって不可能なことはないわけで、至高の欲望はいかなる規範によっても邪魔されることなしに、自らの望みをたちどころに実現し、真なるものとするのです。フーコーが、「欲望はつねに自らに固有の真理と同じ次元にある」[18]と論じるのはそのためです。こうした議論は、可能性の限界を超えて欲望する至高者としてのサドの姿を重視したバタイユの議論[19]を受けて、フーコーが一九六九年ヴァンセンヌで行われた「セクシャリティ講義」において、「[至高の主体の]欲望こそが、その特性、その無制限性において、[サドの]侵犯的ユートピアをなしている」[20]と論じていたことと軌を一にしていますが、「サド講演」においてフーコーは、この欲望の至高性という論点を真理論という枠組みのうちに位置づけ直すのです。
こうしてフーコーは、サドにおいて欲望が、特異なエクリチュールを通じて、真理と結びつけられる様を分析してみせたのです。
さて、それでは今度は、第二回講演について見ていくことにしましょう。この講演の冒頭でフーコーは、サドの小説において理論的な言説とエロティックな場面とが規則的な形で交互に入れ替わることに着目します。フーコーは、『言葉と物』においても、サドにおける言説と場面の交替について注目し、これを「欲望の掟なき掟と言説的表象とのつかの間の均衡」[21]を示すものとして分析していました。これに対して「サド講演」において問題になるのは、エロティックな場面における欲望の実践が、リベルタンたちの言説を通じて語られる真理とどのように結びつくのかということです。ところで、この第二回講演において着目すべきは、サドにおける欲望と真理の関係をめぐるフーコーの分析が、『〈知への意志〉講義』において分析されたアルカイック期ギリシアにおける真理論、つまりアリストテレスによって命題論的な真理の体制が打ち立てられる以前の真理のあり方をめぐる議論と密接なつながりをもっているという点です。この点に留意しつつ、フーコーのサド論を検討していくことにしましょう。
さて、まず問題になるのが、サドの言説の内容、つまりサドの小説に登場するリベルタンたちが何を語るのかということですが、フーコーによれば、それは以下のような四つの非存在証明――神は存在しない、魂は存在しない、法は存在しない、自然は存在しない――です。これらの非存在証明が、サドにおける真理の言説を構成しています。ちなみに少しずれますが、『純粋理性批判』においてカントが神、魂、世界を超越論的理念として分析していたことを思い出すならば、この四つの非存在証明が反形而上学的な性質を持ったものだということは明らかでしょう。
次にフーコーが問題にするのが、これらの真理の言説がサドにおいていかなる機能を果たしているのかという点です。フーコーによれば、サドの言説には五つの機能があり、それらは密接に絡み合っているのですが、それぞれの機能について順次検討していくことにしましょう。
フーコーは、サドの言説の第一の機能を脱去勢の機能と呼びます[22]。この機能について明らかにするためにフーコーは、サドのリベルタンたちの言説を、形而上学的な言説と対比します。フーコーによれば、西洋の形而上学は、存在論の次元においては、神、魂、法、自然を肯定する一方で、命令の次元、つまり行為を規制する規範の次元では、欲望を否定してきました。これとは対照的に、サドのリベルタン的言説は、存在論の次元において、神、魂、法、自然を否定する一方で、命令の次元においては欲望を肯定する、つまり、邪悪な欲望を積極的に実践せよと命じるわけです。あらゆる規範を退けて、自らの利害関心を最優先させるこの脱去勢の機能は、ブランショがサドにおける「完全なエゴイズム」[23]として分析したものに相当する機能だと言えるでしょう。
サドの言説の第二の機能は、差異化の機能です[24]。神、魂、法、自然をめぐる四つの非存在証明という真理の言説は、それら四つの非存在証明を保持することができる者たちをリベルタンとして、それらを保持することができない者たちを犠牲者として選別します。さて、この選別を経てリベルタンとして認められた者同士は、相互承認し、犯罪友の会の会則が示すように、互いに殺し合わないという紳士淑女協定を結びます。つまりリベルタン同士は互いに身体を差し出し合い、場合によっては暴行を加え合うことがあるにせよ、殺されることはないのに対して、犠牲者たちはリベルタンたちによって徹底的に陵辱され、身体を切り刻まれ、殺害されるにいたるのです。
しかしながらここで興味深いのは、リベルタンたちの間で交わされるこうした相互承認は決して永続的なものではないという点です。というのも、四つの非存在証明を一つも欠くことなく、つねに保持し続けることは容易なことではなく、多大な努力と強い意志を必要とするからです。フーコーが、四つの非存在証明は、「一度きりで決定的に承認される」教義条項ではなく、リベルタンたちに永続的に課される「道徳的課題」であるというのはそのためです[25]。それゆえ、リベルタンたちは、互いが四つの非存在証明を保持し続けているのかを確かめるために罠を仕掛け合い、罠にかかったリベルタンが四つの非存在証明のうちどれか一つでも保持できていないと判明した場合には、相手を殺してしまいます。実際、大リベルタンであるサン・フォンは、クレアウィルとの論争を通じて、魂の不死を信じていることが判明したために、娘婿であるノアルスイユの手にかかって殺害されることになります。つまり、サドにおいて四つの非存在証明という真理の言説は、「永遠に更新される試練の機能」[26]を持っているわけです。
ところでこうした論点は、『〈知への意志〉講義』において分析された、アルカイック期ギリシアにおける真理の機能に密接に結びついています。フーコーによれば、アルカイック期ギリシアにおいて真理は、恐るべき力を持つものであり、神明裁判の例が示すように、真理の宣誓は、宣誓者を試練にかけ、その試練に打ち勝った者の発する言説を真なるものとして是認するという機能を持っていました。つまり、「[真理の宣誓のなかで]暴露されるのは、真理にとらえられることを受け入れる者の武装を解いた裸の姿であるか、あるいは逆に、真理から逃れようとする者の尻込み」[27]だったのです。命題論的真理の体制に属するような「完璧な推論の必然的で不可避の帰結」[28]ではなく、あくまで道徳的課題として捉えられたサドの真理の言説は、アルカイック期ギリシアに見られた、真理の試練という役割を担っているのです。
さて、それでは次にフーコーが破壊の機能と呼ぶ、サドの言説の第四の機能について検討しましょう。この破壊の機能について説明するためには、サドの無神論をめぐってクロソウスキーが提起した論点について触れておく必要があります。『わが隣人サド』においてクロソウスキーは、サドは、彼がその著作において暗黙裡に依拠しているドルバックのような合理主義的無神論者ではないと論じました。というのもサドのリベルタンたちは、侵犯の対象としての神の存在を必要としているからです。クロソウスキーが、「神の概念と隣人の概念とは、彼[リベルタン]にとって不可欠なのだ」[29]と論じたのはそのためです。
これに対して、『ロートレアモンとサド』においてブランショは、サドの無神論をめぐるクロソウスキーのこうした解釈を批判し、サドにおける「否定の超越的機能」の重要性を強調しつつ、次のように論じました。「サドの超人は、神の名において人間を否定した後、神を迎えに行き、今度は自然の名において神を否定し、最後には否定の精神と同化しつつ自然を否定するのだ」[30]。つまりブランショによるならば、サドがその存在を要請するかに見える神や自然は、サドにおける反人間主義的な否定の運動の一契機に過ぎず、それらもまた否定の精神の激化を通じて無化されるにいたるのです。『狂気の歴史』においてフーコーは、こうしたブランショの議論に依拠しつつ、近代精神医学によって打ち立てられた人間学的円環を打ち破るサドの否定の精神を高く評価したわけですが[31]、「サド講演」において彼は、欲望と真理という新たな問題設定のもと、サドの言説が持つ破壊の機能とそこから引き出される諸帰結をより詳細に分析することになるのです。
ではフーコーが着目したサドの言説における破壊の機能について詳しく見てみることにしましょう。まずフーコーは、クロソウスキーと同様に、サドの言説と一八世紀の合理主義的無神論との違いを強調します。合理主義的無神論は、はじめに「神は存在しない」と論じ、そこから「神に善悪といった属性を帰することは誤りである」という帰結を導きます。つまり合理主義的無神論者にとって、神とは錯覚(illusion)[32]にすぎないわけです。これに対してサドは、まず「神は邪悪である」と論じ、神に邪悪さという属性を帰した上で、そこから「神が邪悪であればあるほど、神は存在しない」という結論を引き出すという形で議論を展開します。邪悪であれば邪悪であるほど、つまり自らの本質に適合すればするほど存在しなくなるサドの特異な神を、フーコーは単なる錯覚と区別して、「奇怪な空想」(chimère)[33]と呼んでいます。
さてフーコーは、こうしたサドによる論証の特異性を明らかにするために、サドの論理を、哲学史において著名な二つの論理と対比します。まずフーコーが取り上げるのがラッセルの形式主義的論理です。みなさんご存知のように、ラッセル哲学の中心理論の一つは記述理論です[34]。オーストリアの哲学者マイノングは、「丸い四角」や「黄金の山」のような指示対象のない表現も、それらを主語とした命題を作ることができる以上、ある種の論理的存在を持つのだと論じていたのですが、ラッセルの記述理論はマイノングのこうした存在論に対抗するために構築されたものでした。フーコーは、ラッセルの記述理論について説明するために、彼が『知の考古学』でも取り上げた「黄金の山がカリフォルニアにある」(La Montagne d’or est en Californie)という命題を例に取ります[35]。この命題を記述理論に従い、論理式にすると次のようになるのではないかと思います。
このように論理式にした場合、この命題は第一の連言肢を満たすものがないために偽であるということになります。これについてフーコーは、「〈黄金の山がカリフォルニアにある〉とうタイプの命題が、真であったり、偽であったりし得るのは、その命題を分解して、まず〈黄金の山が存在する〉と言うことができ、それから〈黄金の山はカリフォルニアにある〉と言うことができるという条件においてだけです」[36]と述べています。
さてこれに対してサドの論証はどのようなものだったかといえば、彼はまず「神は邪悪である」という属性判断を下し、その上でそこから「神は存在しない」という、属性の主体に関する非存在判断を導くのです。もしこのような論証が可能だとすれば、ラッセルがマイノングに対抗して記述理論を考案する必要などなかったわけで、その意味でサドの論理は、ラッセルの形式論理学的観点から見るなら、まったく荒唐無稽な怪物的論理だということになるのです。
次にフーコーがサドの論理と対比するのは、デカルトによる神の存在論的証明です。デカルトは、『哲学原理』第一部一四において神の存在論的証明を展開するわけですが[37]、フーコーはデカルトによるこの論証を、「神は完全である」という属性判断から、「完全さは存在を含意する」という小前提を経て、したがって「完全なものである神は存在する」という存在判断にいたるものとして整理しています。ところで、フーコーはこうしたデカルトによる神の存在論的証明について、「観念と観念の存在に、したがって可能なるものに必然的な仕方で立脚しているデカルトの〈直観主義的〉論理」[38]と呼んでいます。その背景には、マルシャル・ゲルーが『諸理由の順序によるデカルト』において、第五省察における神の存在論的証明は、第三省察において打ち立てられた「明証性の規則」とそれを保証する「結果による神の証明」を前提としていると論じたことがあるのではないかと思います[39]。ちなみに、『ライプニッツのデカルト批判』においてイヴォン・ベラヴァルは、「直観の明証性と神の誠実という二つの原理に基づいて議論を展開する」デカルトの論証を、ライプニッツの形式主義と対比しつつ、直観主義として特徴づけています[40]。
さて、少し話がずれましたので、本題に戻りましょう。サドが展開する神の非存在証明が、デカルトによるこうした神の存在論的存在証明と真逆になっていることは誰の目にも明らかです。というのも、サドは「神は邪悪である」という属性判断から出発し、そこから「神は存在しない」という非存在判断を引き出すからです。こうしてフーコーは、「サドは、反ラッセル主義者であるのと同様に、反デカルト主義者でもあります」[41]と結論づけるのです。
それでは、ラッセルの形式主義的論理とも、デカルトの直観主義的論理とも対立するサドの論理の核心とは一体何なのでしょうか。それは、サドによる神の非存在証明が、リベルタンたちによる欲望の実践と不可分であるということです。サドは、「神が邪悪であればあるほど、神は存在しない」と論じるのですが、神の邪悪さを増大させ、「神は存在しない」という言説を真なるものにするのは、リベルタンたちが自らの邪悪な欲望を実践することによって、神も仏あったものではないと思わせるような、酸鼻を極める陰惨な光景を次々に生み出すことなのです。言い換えるならば、「神は存在しない」という言説の真理は、リベルタンによる欲望の実践を通じて、行為遂行的に証明されるわけです。フーコーが、サドにおいて「神の不在は、言説の中、欲望の中で、それぞれの瞬間ごとに実現される」[42]と論じるのはそのためです。
ところでわれわれは、このサドの特異な行為遂行論的真理論を、一九八一年にフーコーがルーヴァン大学で行った講義のタイトルを借用して、「悪をなし真実を言う」という言葉で特徴づけることができるかもしれません[43]。悪しき欲望の実践こそが、言説を真たらしめ、真理を語ることを可能にするわけです。ところで、サドにおけるこうした悪と真理の結びつきは、『〈知への意志〉講義』でフーコーが分析の対象とした、古典期ギリシアにおいて成立した真理陳述と司法陳述の結びつきのあり方を転倒させるものだと言うことができるでしょう。フーコーによれば、古典期ギリシアにおけるクリネインという裁判形式が、真理(アレーテイア)と正義(ディケー)を不可分な形で結びつけて以来、われわれはいまだにこの「クリネインの王朝」[44]によって打ち立てられた真理の体制のうちにとらわれているのですが、サドの行為遂行論的真理論は、この「クリネインの王朝」に敢然と反旗を翻すのです。
さて、サドの言説における破壊の機能、つまり真理と欲望との相乗的な強化あるいは激化から導き出されるのが、競合の機能という、サドの言説の四番目の機能です。サドのリベルタンたちは、ラ・デュボワの体系や、法皇の体系に見られるように、四つの非存在証明をそれぞれ独自な仕方で体系化します。それゆえ、リベルタンたちは、互いに孤立した単独者であって、ブランショが強調したように、「絶対的孤独」[45]のうちにあるわけです。
とはいえ、サドのリベルタンたちは、ルソーの良き野蛮人のように、互いに無関心なまま平和に暮らすわけではありません。それとは全く反対に、リベルタンたちは自らの体系、つまりはそれぞれの真理の言説を武器として、どちらの体系がより強力かをめぐり、命をかけて闘争します。そして、クレアウィルとジュリエットによって、ボルゲーゼ公爵夫人が殺される場面が示すように、闘争の果てに、より弱い体系を持ったリベルタンは、より強い体系を持つリベルタンによって打ち負かされ、殺害されるにいたります。ここにおいてわれわれは、真理の言説と欲望の実践との相乗的な激化を通じて、サドの言説の第二の機能である差異化の機能を特徴づけていた、真理の試練という側面が全面的に前景化されて、差異化の機能のもう一つの側面であった、リベルタン同士の相互承認と、彼ら彼女らが互いに殺し合わないという紳士淑女協定が打ち破られるのを目の当たりにするのです。
ところでフーコーは、『〈知への意志〉講義』においても、「〈真理〉は最も効果的な言語的武器の一つ[…]として、非常に早く人間のもとに現れたのだ」というデュメジルの言葉を引用しつつ[46]、真理が権力関係における闘争の武器として機能することを強調していました。こうした考え方は、一九七六年に行われたコレージュ・ド・フランス講義『社会は防衛しなければならない』においてより明確化され、「真理がものを言うのは、それが力関係における武器にじっさいになりうるからであって、最終的にはその限りにおいて真理は求められることになる」[47]と論じられることになります。サドの言説における競合の機能というアイデアは、真理と権力の結びつきというこうした論点を先取りするものでもあるのです。
さて、最後にサドの言説の五番目の機能である自己消去の機能について見てみましょう。先ほどお話ししたように、リベルタンたちは自らの体系、つまり真理の言説を保持しつつ闘争するのですが、その中で彼ら彼女らは、自らの死という危険を積極的に受け入れます。それどころか、「もし処刑されることになったら、私は待ちきれずに絞首台の方へと飛んでいくわ」[48]と豪語するジュリエットのように、リベルタンたちは、自らの死を最大の快楽とともに享受するのです。これがサドの言説における自己消去の機能なのですが、フーコーは、この自己消去の機能において、サドの言説の第一の機能である脱去勢の機能が反転されるのだと指摘します。脱去勢の機能において問題になっていたのは、あらゆる規範を退けつつ、自らの利害関心を最優先にさせるという完全なるエゴイズムだったわけですが、これに対して自己消去の機能において語られるのは、「お前が人生において出会い得る最大の快楽とは、お前の固定性自体が消え去るその日のことだ」[49]ということだからです。サド言説の出発点にあったエゴイズムは、破壊の機能を経て、自己消去へと逆転されるのです。さらにフーコーは、この自己消去の機能の帰結として、神、魂、法、自然をめぐる四つの非存在証明に加えて、「個人自体は存在しない」[50]という第五の非存在証明が導かれると論じています。ここで興味深いのは、この第五の非存在証明もまた、リベルタン自身が自らの死を欲望し、そして実際に嬉々として死んでみせることで、行為遂行的にその真理が証明されるということです。欲望の実践と真理の言説との間の行為遂行的な結びつきこそが、フーコーが見いだしたサドの真理論の核心なのです。
サドの言説における自己消去の機能をめぐるこうしたフーコーの分析は、『狂気の歴史』におけるサド読解の延長線上にあると言うことができます。『狂気の歴史』においてフーコーは、サドが「極点にまで押し進められた否定の精神を経験する主権」[51]を追求したことを強調するブランショの議論を踏まえつつ、『ジュリエットの物語』の結末部分を分析しながら、「自然の言語がそこでは永久に黙り込んでしまった非理性の虚無は、自然の暴力、自然に反する暴力になったのであり、ついには自己自身の至高の廃止(l’abolition souveraine de soi-même)にいたるのである」[52]と論じていました。「サド講演」においてフーコーは、サドのリベルタンたちが、自己消去の機能を通じて、欲望の至高性を確立するとともに、自己消去の行為を通じて、自らの言説を真なるものにすることを明らかにしたのです。
ところで、真理の言説を保持するために、自らの死の危険をも積極的に引き受けるとともに、まさにそのことによって言説が真なるものであることを証立てるというこうした議論は、フーコーが最晩年に集中的に分析したパレーシアという真理の語りを思い起こさせます。フーコーは、ギリシア語で「すべてを語る」ことを意味するパレーシアを、勇気をもって真理を語ることとして捉え直し、その歴史的系譜を辿ったのですが、パレーシアの重要な特徴としてフーコーは、「パレーシアの言表を定義するもの、[…]それは、パレーシアにおいて危険が開かれるということなのです」[53]と述べています。実際、パレーシアにおいて問題になるのは、失職や追放、さらには命の危険まで覚悟して、自らが真だと信じることを勇気をもって語ることであり、こうした危険の引き受けこそが語られた言説が真なるものであることを遡及的に証立てることになります。とすれば、われわれはサドの言説における自己消去の機能のうちに、一種のパレーシアを見ることもできるのではないか、そんなことを考えてみたくなるのです。
さて、「サド講演」を締めくくるにあたり、フーコーは次のように述べています。「サドとは〈欲望は真理のうちにおいて無制限なものになり、真理は欲望のうちにおいてのみ作動する〉と語った人物なのです」[54]。二回にわたる講演を詳しくたどってきたわれわれにとって、「欲望は真理のうちにおいて無制限なものになる」という分析が、サドのエクリチュール論について論じた第一回講演に、「真理は欲望のうちにおいてのみ作動する」という分析がサドの言説について論じた第二回講演に対応していることはもはや明らかでしょう。こうしてフーコーは、二回の講演を通じて、サドにおいて欲望と真理が独自の仕方で相互に絡み合い、強化し合う様を分析したわけです。
さて、それでは最後に、フーコーが一九七〇年に行った「サド講演」が、後のフーコーによってどのように引き継がれたか、そしてわれわれはそれをどのように展開させることができるのかについて、簡単にお話しすることにしましょう。
今日、冒頭でお話しした通り、一九七〇年代半ば以降、フーコーは「サド講演」においてその頂点に達する肯定的なサド評価を一転させることになります。一九七六年に刊行された『知への意志』においてフーコーは、一九六〇年代、自身がサドとバタイユを通じて練り上げた侵犯概念を、権力の生産的作用を取り逃がす反時代的なものとして退けるとともに、サドについて次のように論じることになります。「すべてを語ることだ、と精神指導に携わる者は繰り返す。[…]サドは、精神指導の手引きから引き写しにしたような言葉遣いで、再びその要請を主張する」[55]。ブランショは彼のサド論である「蜂起、書くことの狂気」において、「サドにおける〈すべてを言うこと〉」[56]の革新性を積極的に評価していたのですが、これに対してフーコーは、それをそっくりそのままキリスト教司牧に由来する告白の伝統のうちに位置づけてしまうのです。この点においてフーコーは、「サド講演」において彼が距離を置いた、サドとキリスト教神学とのつながりを強調するクロソウスキーによるサド読解に改めて接近したのだと言えるかもしれません。その後フーコーは、『肉の告白』において初期キリスト教における性と真理の関係について本格的に研究することになるのですが、そこにおいて彼は、クロソウスキーやブランショのサド論において重要な分析対象となった禁欲=修練とアパテイアの問題や処女性の問題について詳細に検討することになります[57]。こうしたキリスト教的な肉の経験との関わりを念頭に置きながら、フーコーやその同時代人たちのサド論を読み直してみることは、フーコーの死によって未完のままに残された『性の歴史』プロジェクトの可能なる展開について考える上でも有益なことであるように思われます。
とはいえ、一九七〇年代半ば以降、フーコーがサドに関して行った言及はそれだけではありません。フーコーは彼が亡くなる一九八四年に行われたコレージュ・ド・フランス講義『真理の勇気』において、キュニコス主義の系譜をたどったドイツ人研究者ハンリッヒ・ニーフース=プレープシュティンクの著作『ディオゲネスのキュニコス主義のシニシズム』について触れた際、西欧におけるキュニコス主義の重要な契機として、ディドロの『ラモーの甥』とならび、サドについて言及しているのです[58]。『真理の勇気』においてフーコーは、キュニコス主義を代表する哲学者ディオゲネスについて、強い共感を込めつつ、多くの時間を割いて論じたのですが、ディオゲネスとサドの間には、スキャンダルの重視[59]、戦闘的生と結びついた主権的生[60]、そしてパレーシアの実践といった点において共通点を指摘することができます。もっとも最後のパレーシアに関して言えば、ディオゲネスにおけるパレーシアの実践は、彼自身の生そのものと一体化するのに対して、サドのリベルタンたちにおけるパレーシアと呼び得るものは、「個人自体は存在しない」という真理の言説が示すように、最終的にはリベルタン自身の死と一体化するという点において両者は対照的であり、このこともパレーシアの歴史的変遷について考える上で興味深い点です[61]。
フーコーが晩年に展開した真理論のプロジェクトが、古代ギリシアと初期キリスト教における真理概念の転換を重視していたことは今日広く知られていますが、こうして見ると、サドはこの二つの真理論の系譜を架橋するとは言わないまでも、両者にともにかかわりをもつ存在だと言うことができるでしょう。この意味において、フーコーが「サド講演」において展開した欲望と真理をめぐる考察は、フーコーの晩年の真理論の展開について考える上でもすくなからぬ意味を持っているのではないか、こう述べることで今日の話の結びとさせていただきたいと思います。
[1] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』柵瀬宏平訳、ちくま学芸文庫、二〇二一年、一七四頁。
[2] ミシェル・フーコー『〈知への意志〉講義』慎改康之、藤山真訳、筑摩書房、二〇一四年、八頁。
[3] Cf. 同上、三四−三五頁。
[4]ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二四六頁。
[5] モーリス・ブランショ『終わりなき対話』Ⅱ、湯浅博雄ほか訳、筑摩書房、二〇一七年、二七〇頁。
[6] Cf.ピエール・クロソウスキー『わが隣人サド』豊崎光一訳、一九七三年、五二頁。
[9]ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、一八五頁。
[10] ミシェル・フーコー「侵犯への序言」西谷修訳、『ミシェル・フーコー思考集成Ⅰ』筑摩書房、一九九八年、三一四頁。
[13] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二〇五頁。
[14] フリードリッヒ・ニーチェ『ニーチェ全集』第二期第八巻、麻生建訳、白水社、一九八三年、四八〇頁。
[15] Cf.ミシェル・フーコー『〈知への意志〉講義』前掲邦訳、二八七頁。
[16] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、一九三頁。
[17] ピエール・クロソウスキー『わが隣人サド』前掲邦訳、一二七―一二八頁。
[18] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、一九四頁。
[19] Cf.ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』前掲邦訳、二七八―三三五頁。
[20] Michel Foucault, La sexualité, suivi de Le discours de la sexualité, Paris, EHESS/Gallimard/Seuil, 2018, p. 193.
[21] ミシェル・フーコー『言葉と物』、渡辺一民、佐々木明訳、新潮社、一九七四年、二三〇頁。
[22] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二〇八頁。
[23] モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』小浜俊郎訳、国文社、一九七〇年、一八二頁。
[24] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二一六頁。
[25] 同上、二一四頁。
[26] 同上、二一六頁。
[27]ミシェル・フーコー『〈知への意志〉講義』前掲邦訳、一〇〇頁。
[28] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二一四頁。
[29] ピエール・クロソウスキー『わが隣人サド』前掲邦訳、一〇四頁。
[30] モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』前掲邦訳、二〇九頁。
[31] Cf. Michel Foucault, Histoire de la folie à l’âge classique, Œuvres I, Paris, Gallimard, 2015, p. 593-596.[ミシェル・フーコー『狂気の歴史』田村俶訳、新潮社、一九七五年、五五四―五五七頁。]
[32] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二二八頁。
[33] 同上。
[34] Cf.バートランド・ラッセル「指示について」清水義夫訳、『現代哲学基本論文集Ⅰ』勁草書房、一九八六年、四五―七八頁。
[35] Cf.ミシェル・フーコー『知の考古学』慎改康之訳、河出文庫、二〇一二年、一六八頁。
[36]ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二二六―二二七頁。
[37] Cf.ルネ・デカルト『哲学原理』山田弘明ほか訳、ちくま学芸文庫、二〇〇九年、一〇一―一〇二頁。この箇所でフーコーが提示しているデカルトによる神の存在論的証明は、第五省察のものよりも、『哲学原理』第一部一四のそれに近いという点については、小泉義之氏にご教示いただいた。
[38] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二二七頁。
[39] Cf. Martial Gueroult, Descartes selon l’ordre des raison, I, Paris, Aubier, 1975, p. 331-384.
[40] イヴォン・ベラヴァル『ライプニッツのデカルト批判』上、岡部英男、伊豆蔵好美訳、法政大学出版局、二〇一一年、七九頁。
[41] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二二七頁。
[42]同上、二三一頁。
[43] Cf. ミシェル・フーコー『悪をなし真実を言う:ルーヴァン講義一九八一』市田良彦ほか訳、二〇一五年、河出書房新社。
[46] ジョルジュ・デュメジル「セルウィウスとフォルトゥナ」、伊東忠夫、高橋秀雄訳、『デュメジル・コレクション2』、筑摩書房、二〇〇一年、四〇三頁。ミシェル・フーコー『〈知への意志〉講義』前掲邦訳、一一二頁。
[47] ミシェル・フーコー『社会は防衛しなければならない』石田英敬、小野正嗣訳、筑摩書房、二〇〇七年、五五頁。
[48] Sade, Histoire de Juliette, Œuvres III, Paris, Gallimard, p.1099. ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二四〇頁
[49] 同上、二四一頁。
[50] 同上、 二四二頁。
[51] モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』前掲邦訳、二一五頁。
[52] Michel Foucault, Histoire de la folie à l’âge classique, op. cit., p. 596.[ミシェル・フーコー『狂気の歴史』前掲邦訳、五五六頁。]
[53] ミシェル・フーコー『自己と他者の統治』阿部崇訳、筑摩書房、二〇一〇年、七七頁。
[54] ミシェル・フーコー『フーコー文学講義―大いなる異邦のもの』前掲邦訳、二四七頁。
[55] ミシェル・フーコー『知への意志』渡辺守章訳、新潮社、一九八六年、三〇頁。
[56] モーリス・ブランショ『終わりなき対話』Ⅱ、前掲邦訳、二七〇頁。
[57] Cf.ミシェル・フーコー『肉の告白』慎改康之訳、新潮社、二〇二〇年、二〇五―二三一頁。 サドにおける禁欲=修練とアパテイアについては、以下を参照。Cf.モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』前掲邦訳、二一八―二二一頁。また、サドにおける処女性の問題については、以下を参照。Cf.ピエール・クロソウスキー『わが隣人サド』前掲邦訳、一五〇ー一六三頁。
[58] ミシェル・フーコー『真理の勇気』慎改康之訳、筑摩書房、二〇一二年、二四五頁。
[59] Cf. 同上、二九三―三〇一頁。サドにおけるスキャンダルについては以下を参照。Cf. モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』前掲邦訳、一七九―一八一頁。
[60] Cf.ミシェル・フーコー『真理の勇気』前掲邦訳、三三九―三六五頁。
[61] この点については、王寺賢太氏の指摘から重要な示唆を得た。