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宇佐美斉『小窓の灯り——わたしの歩いた道』(編集工房ノア、2024年)/ 大出敦

 個人的な話で恐縮なのだが、「宇佐美斉」という名前を初めて目にしたのは、大学三年の時だから、1989年のことだ。大学図書館の書架にあった『落日論』と題された本が目に留まり、私は何気なくそれを手に取って頁をめくってみた。この時、目次をめくってみると、宇佐美先生は、どうやらフランス文学者でランボーの研究者だが、萩原朔太郎や檀一雄、庄野潤三など日本文学にも造詣が深い研究者だということを初めて知った。

 数年経って、大学院の博士課程の頃、私は角川書店で中原中也全集の編集のアルバイトをしていた。『新編中原中也全集』の編集部が立ち上がってしばらくした頃、中原はランボーの翻訳者でもあることから、ランボーの専門家を編集委員に加えたいという話が上層部であったようで、ある時、担当の編集者と編集委員で詩人の佐々木幹郎さんから呼び出され、「誰か心当たりはないか」と尋ねられた。フランス文学の博士課程に在籍していたとはいえ、フランス文学と日本文学、しかも中原中也に精通した先生なぞ、そうそう知り合いにいるわけもなく、内心、戸惑っていた時、どういうわけか突然、『落日論』の宇佐美先生の名前を思い出した。それで恐る恐る、宇佐美先生の名前を挙げると、佐々木さんは、宇佐美先生が筑摩書房の叢書「近代日本詩人選」の『立原道造』の著者であることをおぼえていて、「宇佐美さんがいい、宇佐美さんがいい、なんで今まで気付かなかったんだろう」と宇佐美先生に編集委員に入ってもらうことがこの打ち合わせで決まった。こうして、私はこの時まで『落日論』の作者としてしか知らなかった宇佐美先生と一緒にそれからの数年、中原中也と格闘することになった。

 宇佐美先生の著作に刺激されて、昔語りを繰り出してしまったが、『小窓の灯り』は、なぜか、読者の一人一人にこうした自分語りを誘発する不思議な魅力に溢れたものである。だが、私の自分語りは脇に置いて、この本のことを語ろう。自伝ということでいえば、芸術家や作家の自伝や回想録というものはこれまでにもいくつもあり、思い浮かぶままにいえば、安岡章太郎の『私の昭和史』や堀田善衛の『若き詩人たちの肖像』、あるいは大岡昇平の『幼年』、『少年』などが挙げられるが、研究者、しかも文学研究者の自伝というものはこれまであまり目にしたことはない。宇佐美先生のこの本は、一人の青年がフランス文学に興味を示し、やがて研究者を志し、その道を歩んできた貴重な記録である。そして、この本で書かれていることは、戦後の新制の教育制度になったばかりの高校や大学での若者たちの生活であるが、それぞれの段階で、宇佐美先生がさまざまな形で知の共同体を形成してきたことを明らかにしてくれている。先生の高校、大学時代は、日本の政治の季節だった。60年安保を巡っての高校生や大学生の「アンガージュマン」がここでは描かれている。高校時代は、「オリーブの会」という「政党・セクト色をいっさい持たない『反戦・平和』を唯一の旗印にした」サークルに属した宇佐美先生は、ボランティア活動を中心に活動していたが、政治の季節はどんな学生も否応なく社会参加へと駆り立てていく。先生の政治の季節は、名古屋で行われた安保反対のデモに参加したあたりから始まり、京都大学の二回生の時の学園祭の時まで続く。そこに到るまでのことがこの本には記されているが、しかしそこで話題になっていることは、イデオロギーや政治参加といった当時の政治の季節特有の現象というよりも、そうした政治の季節の出来事が契機になって紡がれていった人間関係である。実際、高校時代から大学時代にかけて、先生と関わった沢山の人間が登場し、彼らとの接触によって、知の共同体が形成されていったことが、ここで描かれていることなのだ。それは、大学、大学院、留学時代にとどまらず、先生が研究職に就かれてからも同様である。バルザックの「人間喜劇」ではないが、これは先生を軸にして、それぞれの登場人物たちが交差し、関係する人間界のドラマなのである。

 ところで、この回想録の興味深いところは、一種の〈仏文アルケオロジー〉とでもいうべきものになっていることである。宇佐美先生は、ここで学生時代から京大人文研時代までのエピソードを伝えてくれているが、それが時間の層のなかに埋もれてしまったかつての日常を発掘する行為となっている。もちろん、これは先生の個人的な思い出の掘り起こしの営みであることはいうまでもないことなのだが、われわれからすると、同時にある種の文化史的な発掘であるといってもよいものとなっているのである。現在、たとえば、われわれがある時期の京都大学での文学部で行われていた授業を知ろうとしたら、おそらく大学に残されている講義要項などから推測するぐらいしか手段はないだろう。しかし、いうまでもないが、それは講義の題目と授業の予定・計画が書かれているものにすぎず、実際、どのような授業が教室で行われていたかはそこからは判断がつかない。実際に行われていた授業は時間という地層の中に埋もれてしまって、眼にすることができないのだ。大岡昇平は京大仏文だったが、彼がどんな雰囲気の授業を受けていたかは分からない。あるいは、大岡の知人であった中原中也は東京外国語学校に籍を置いたが、フランス語の発音の仕方をどのように教わったかは分からない。学生の最も日常的なものである自分たちの受講した実際の講義は、あまりにも日常的であるがゆえに歴史から忘れ去られてしまうのである。

 宇佐美先生のこの回想録は、こうした忘れ去られ、時の地層に埋没した日常である学生生活、授業を掘り起こしてくれるものなのである。たとえば先生が受けていた生田耕作の授業では先生は「生田耕作助教授の講読を(……)楽しみに聞いた。講読なのに『聞いた』というのは、学生に当てて訳させるのはなく、ところどころ解説を加えながら、ご自身で勝手に訳をつけて行かれるのであった」という具合に、当時の授業のありようを伝えてくれる。あるいはドイツ文学の大山定一教授は「残念ながらほとんど休講であった。(……)休講が日常化しているのでごく稀に出講されると、『大山教授、本日講義あります』の張り紙が掲げられるとのことであった」と当時の京大の雰囲気を伝えてくれているかと思えば、桑原武夫との思い出では、「講義の後、京大北門前の喫茶店『進々堂』に、希望する者10人ばかりを連れていっていただいたことがある」と、教員と学生の交流も描かれている。あるいは、今の学生には想像もつかないかもしれない大学界隈での二食賄いつきの下宿生活も描かれている。ここには、現在とは異なるが確実に存在した大学生活の生き生きとした描写がある。先生の本は、こうした埋もれた出来事を発掘していくアルケオロジーといえるものなのである。

 それは、先生が関西学院大学から京大人文研に移ってからの人間模様にしても同様である。当時の学部とは異なる研究所での生活が回想録の後半部では描写されている。ここからも、われわれは歴史のなかに埋もれた細かな出来事を読み解くことができる。たとえば、ボードレールの『悪の花』の共同研究で、『悪の花』の注解がどのように行われ、どんな議論が交わされ、いかなるトラブルに見舞われたかをわれわれに教えてくれる。歴史のなかに記述されてしまうと、1986年に平凡社から刊行されたという事実のみになってしまうが、その忘れられた時間の地層には、おびただしいエネルギーの知の営みが埋もれていることをこの本は教えてくれる。こうした埋もれてしまったものへのアルケオロジーは、関西学院大学時代やパリへの留学の時も同様で、枚挙に暇がないほどである。

 最後に、この回想録の題名になっている『小窓の灯り』の由来から思い出されたことを記して、この小文を閉じたいと思う。この書名は、パリに初めて留学をした20代の先生の思い出にまつわるものだ。先生は、留学中、思い立ってランボーの故郷のシャルルヴィルに行っている。現在は市のメディア・センターになっているランボー旧居のアパルトマンにあるわずか数坪の中庭に足を踏み入れた時、先生はある発見をする。この中庭には共同トイレがあり、その「古い木造の扉にふたつのハート型の明り取りが、くり抜かれていた」のである。先生は、これがランボーの「初聖体拝領」の「明り取りは中庭に輝く光のハートを投げかけ……」の一節に符合することに気付きしばらく立ち尽くしたという。というのも「それまで目にしてきた内外のどの注釈書も、この『明り取り』に言及しているものはなかった」からだ。先生は、この経験から「文学研究における現場の力」というものを深く肝に銘じ、それは中原中也全集や立原道造全集に活かされたと語っている。

 そこで思い出されるのは、先生は巻末の自筆の年譜の方にさりげなく書いているだけで、本文では触れていない小林秀雄と中原中也のランボー訳を巡る事件である。山口市の中原中也記念館で「中原中也とランボー」という特別展をした時のことである。先生はこの時、この企画に関わっており、展覧会では、パネルでランボーの後期韻文詩のひとつである、いわゆる「幸福」の訳が掲出されることになっていた。有名な話だが、ランボーの「O saisons, ô châteaux」を中原は、昭和12年に刊行した『ランボオ詩集』で、「季節ときが流れる、城寨おしろが見える」と訳したが、小林秀雄は、『地獄の季節』の「言葉の錬金術」に掲出されている異稿の該当部分を「ああ、季節よ、城よ」とほぼ原文通りに訳しているというのが、この時までの多くの人の認識だった。この二つの訳文を比べて、長い間、中原は詩人の直観で、ランボーの本質を捉えて訳しているのに対して、小林は散文的に訳しているといわれていた。しかし、実際に小林秀雄の訳を調べてみると、白水社から昭和5年に刊行された『地獄の季節』の初版では、「季節ときが流れる、城砦おしろが見える」となっていて、昭和13年に岩波文庫に収録される時に小林が改訳して、今、われわれが読むものになったのである。どのような事情があったかは今となっては分からないが、中原は小林の訳した一節を流用したのだ。この企画展での展示でたまたま中原の訳と小林の初出の訳を並べることになって、このことが判明したのだ。この間の事情と二人の訳の変遷を先生は「唄が流れる」(『中原中也研究』第3号)で指摘されている。それまで、どの研究者も批評家も、小林が最初から「ああ、季節よ、城よ」と訳したと疑わず、検証してこなかったわけだが、先ほどの「明り取り」の小窓の話ではないが、実際に小林秀雄の初訳という一種の文学の「現場」に立ち会うことで、先生はそれまで見落とされていたものを浮かび上がらせたのである。なるほど「現場の力」である。

 そう考えてみると、この『小窓の灯り』は、戦後日本のフランス文学研究の歴史という仏文アルケオロジーでの「現場の力」になってくれる貴重な本だということが分かってくるのではないだろうか。




『小窓の灯り——わたしの歩いた道』 宇佐美斉(著)

出版社 ‏ : ‎ 編集工房ノア

発売日 ‏ : ‎ 2024/4/1

単行本 ‏ : ‎ 211ページ 価格:2200円(税込)

ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4892713835


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