【『フーコー文学講義──大いなる異邦のもの』(柵瀬宏平訳、ちくま学芸文庫、2021年)書評会(2022年3月26日)の記録】
1)存在論とフィクション
本日の主題は60年代フーコーの文学論を現在の視点からどう捉え返すか、ということであろうと思いますが、80年代のいわゆるパレーシア論からはじめることをお許しください。1983年度のコレージュ・ド・フランス講義、『自己と他者の統治』はご承知の通り、概ね古代ギリシャにおけるパレーシアの概念を中心に回っていたわけですが、その最後近く、3月2日第1時限です、フーコーは年間を通して自分が行なってきたことをこうまとめています。それは「真理の言説の存在論l’ontologie ou les ontologies du discours de vérité」であった、と。「存在論」をめぐる単数形と複数形の違いはひとまず置きますが、彼はすぐに続けて、この「存在論」の含意を三つに分けて説明しています(GSA 285/三八〇-三八一)。
① 「あらゆる言説、とりわけ真理の言説、真理陳述véridictionは一つの実践とみなされる」。
② 「あらゆる真理は真理陳述ゲームから出発して理解される」。
③ 「あらゆる存在論はフィクションとして分析される」。 (強調引用者)
三つをテーゼ風に言い換えてみましょう。
テーゼ① 私が問う言説は「ほんとうのことを言うdire vrai」という「スピーチ・アクト」である、
テーゼ② 真理はゲームを通じて確定される、
テーゼ③ 存在論はフィクションである。
フーコーの著作に一定親しんで来られた方は、①と②の言い換えにはさほど違和感を持たれないでしょう。いきなり「スピーチ・アクト」という英米的語彙を持ち出すのはどうかと思われる向きもあるやもしれませんが、69年の『知の考古学』に至るプロセスでフーコーがオースティンからはじまる言語行為論、分析哲学に深く耽溺していたことは今日では周知の事実ですし、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」概念をフーコーが自分なりに変奏してその後自家薬籠中のものとしたことも同じです。こうした点については掘り下げれば興味深い論点も多々あるのですが、ここでは触れないでおきます。注目したいのは三番目です。存在論がフィクション?かなり唐突に響かないでしょうか。ハイデッガーは嘘八百を並べたとでも言いたいのでしょうか。フーコーがこのドイツ哲学者に深く影響されていたことも周知の事実ですから、ここでフィクションの語を持ち出す意味を、読者としてはどうしても勘ぐってしまいます。フーコーは生涯の終わりにハイデッガーと訣別しようとしていた? 『自己と他者の統治』だけを追いかけてきた目にもフィクションの語は唐突です。同講義においてフーコーがこの語を持ち出すのはここだけだからです。もちろん、彼がここで何に言及しているのか、「フィクション」と口にすることで「存在論」を何と関連させようとしているのかは明白です。この年間講義では実際に一つのフィクション作品が分析の俎上に上っていたからです。パレーシアの語をギリシャ語文献にはじめて登場させた、エウリピデスの戯曲『イオン』です。これが今日の話の導きの糸となります。テーゼ③をこう裏返してみたいわけです。フィクションは存在論を含んでいる。『イオン』という文学作品は一つの存在論として読める。このように裏返してみると、60年代文学論がフーコーの歩みにおいてもった意味が自ずと浮かび上がってくるように思えます。というのもフィクションは、正確にはフィクションとはなにかという問いは、60年代文学論における大きな主題であったからです。原著が2013年に刊行された『文学講義』と、その6年後に刊行された未定稿と講演を集めた『狂気、言語、文学』を合わせ読むと、その点はいっそう明らかになってきます。とすれば、フーコーは1960年代に文学との格闘を通じて得た視点なり分析ツールを、パレーシア論に、「自己と他者の統治」という主題の分析に、さらに彼なりの「存在論」に生かしていると言えるのではないでしょうか。少なくとも1983年3月2日の先のまとめは、そう考えるよう私たちに促しています。これは果たして晩年になっての一種の回帰なのでしょうか。それとも青年期の思索のアップデートなのでしょうか。とにかく60年代フーコーの文学論には、彼の仕事の遍歴における連続性と変化を考え直させるようなものが私の目にはあります。
問題は80年代と60年代の関係だけではありません。『文学講義』に収められているサドについての二つの連続講演は、1970年3月に行われています。コレージュ・ド・フランスでの講義は同年12月にはじまり、71年3月まで初年度講義『〈知への意志〉講義』は続きました。70年代フーコー、つまりよく知られた言い方を援用して〈知-権力〉savoir-pouvoirのフーコーと言っておきますが、その〈知-権力〉の時代の幕開けを告げた講義の最終回はソフォクレスの名高い悲劇『オイディプス王』の解読に当たられています。不幸にして、書物としての『〈知への意志〉講義』はフーコーによる準備ノートの再録にすぎず、最終回の内容はとりわけ断片的であり、彼がこの知られすぎた悲劇をどう読んだかについて詳細を追うことはできません。しかし最終回から1年後、1972年3月にニューヨークで行われた講演「オイディプスの知」がほぼこの最終回講義の内容と重なるだろう、と言われています。そしてサド講演とこの「オイディプスの知」を並べて読んでみると、後ほどお話ししますが、分析の骨格が基本的に同じなのです。だとすれば、60年代文学論の最後と70年代〈知-権力〉論の最初はみごとにつながっている。だとすれば、60年代から80年代まで、フーコーは基本的に、いやいささかも、変わっていないのでは?とさえ思えてきます。こうした視点から、今日はお話しさせていただきたいと思います。
最初に、83年3月に言われた「存在論」について少し補足しておきます。「真理の言説の存在論」だとされるパレーシア問題と、その三つ目の含意に言わば「存在論」一般への言及が認められる、という二つの点についてです。存在論なる問題が「なにがあるか」、「あるとはどういう意味か」を論じる議論であるとすると、フーコーはここで存在論を彼流のやり方で種別化しています。すなわち、存在論とは「なにがほんとうにあるのか」をめぐる議論であり、いかにして真偽を見分けるのかという問いを含んでいる。そして我々の定式化によるテーゼ①と②を束ねれば、真偽の区別は各人が真だと信じる言説を投げつけあい、交換するゲームを通じて集団的に行われる。言い換えると、真理はゲームの「そと」、言語外的な場所にあらかじめあるのではなく、ゲームの結果ないし効果として成立する。しかし、真理陳述を問題にすると①は言っているわけですから、真理はこのゲームをある意味で最初から統制してもいます。とにかくフーコーの存在論は「なにがほんとうにあるのか」、その「ほんとう」はいかにして確定されるのかという問いに、ひとまず、ゲームを通してと答える。ゲームには規則なり手続きがあるでしょう。なければそれをゲームとは呼べない。存在論をフィクションと等置するテーゼ③は、この規則や手続きをフィクションに見ていることになります。もう少し正確に言えば、フィクションがフィクションとして成立するメカニズムに、フーコーは「ほんとうにある」を成立させる手続きを重ね合わせていることになる。フィクションとは文字通りフィクション、つまり実在しない非現実的なものですから、フーコー的存在論の奇妙さétrangetéがお分かりいただけるかと思います。La grande étrangère「大いなる異邦のもの」という『文学講義』の原題は、もちろん「文学」を指して言われているのですが、私としては「ほんとう」には「ない」はずのものを「ある」ようにする、あらしめるメカニズムを存在論と重ね合わせるフーコー的存在論こそがétrangèreであるように見えます。というのも、いわゆる存在論は「ある」の意味を色々と探ったり、それは一義的か多義的かを論じたりしても、「ない」ものが「ない」まま「ある」ようになる手続きprocédureなど問題にしないからです。この問題意識は私の牽強付会や捏造ではありません。フーコーは1978-79年度講義『生政治の誕生』において、それまでの自分の仕事を振り返りつつ、それらを貫く問いをこうまとめています。「いかなる干渉作用によって、一連の実践が、存在しないもの(狂気、病、非行性、セクシュアリティなど)が依然として存在しないままでありながら何ものかになることを可能にしたのか」。つまり「私」は狂気や非行性やセクシュアリティをフィクションとして扱ってきたのだ、と言っている。いわゆる存在論は「ない」と「ある」の間に排中律を置くか、「創造création」を見ておしまいにします。そこに手続きで繋がる余地はありません。あるいは「ない」を「それまでなかった」に置き換えて、両者の間に古いものによる新しいものの「生産production」という関係を設定し直す。「生産」ならば確かに手続きを問題にしえるでしょうが、それはすでに「ない」から「ある」への移行手続きではない。フーコーの存在論はこうした存在論のどれとも違います。彼が問題にしたい「ある」ものは、なんらかの意味において「ある」ようになっても「ない」ままなのです。移行といっても非常にétrangerな状態移行でしょう。まさにフィクションの成立機制を問うている。真偽の区別に関連づけて言えば、偽が偽のまま真として通用する、嘘がそのままほんとうになるプロセスを問うているわけです。だからやはり哲学としてはgrande étrangèreであるでしょう。
手続きprocédureと同系列の語にprocédéがあります。よく「手法」と訳されます。1963年刊の『レーモン・ルーセル』におけるキーワードであり、『文学講義』にも『狂気、言語、文学』にも頻出します。文学領域においてはつまり、作品を書く「手法」のことです。改めて指摘するまでもないでしょうが、procédéに対するフーコーの関心はルーセルの『私はいかにしてある種の本を書いたか』に由来します。今日はフーコーのルーセル論には深入りしませんが、次の点だけは確認しておいてよいかもしれません。作家本人の手で死の直前に明かされた「手法」は、いったい創作の秘密の暴露になっているのか?それが『レーモン・ルーセル』を貫く存在論的な問いです。ルーセルにおける「ある」、彼の作品が「ある」ということは、明るみのもとに出すアレーテイアとは本質的に異質であることを彼の「手法」は語っていないか?というわけです。狂気とは作品の不在である、というフーコーのテーゼを想起していただきたい。彼は「手法」の暴露によって作品をいっそう謎にしたではないか、創作の真実を語ることでいっそう読者を真実から遠ざけたではないか。真理をまさにフィクションにしたではないか。そういう手続きprocédureがprocédéの暴露であった、とフーコーのルーセル論をひとまず、あくまで乱暴にですが要約することは許されると思います。
目をオイディプス論に転じてみましょう。フーコーはソフォクレスの悲劇について都合6回、公の席で論じているのですが、1971年から83年にまでわたるそのどれにおいても、最大のキーワードはprocédureです。正確に言えばprocédure judiciaire「司法手続き」です。詳細は後に回しますが、この手続きの結果について言うまでもないでしょう。もちろんフィクションの成立などではなく、それとはむしろ正反対と言うべき、オイディプスこそ父親殺しの犯人だという真理の確定です。嘘をほんとうにする手続きなどではありません。つまり存在論をめぐって私たちが取り出した三つの含意、テーゼのうち、最初の二つに対応しています。そしてこのように対応させてみると、フーコー的存在論の別のétrangetéもまた浮かび上がってきます。真理陳述、「ほんとうのことを言う」が「スピーチ・アクト」をなすとして、この戯曲においてはいったい誰がそんなacteを実行しているでしょうか。神あるいは預言者でしょうか。彼らの言ったことは結果的には真実であったと判明するものの、それが真とはオイディプスにも市民にも信じてもらえないから、つまり神と預言者のスピーチ・アクトはいったん失敗するから、オイディプスによる司法手続きが開始されたはずです。それがドラマの軸をなしたはずです。『オイディプス王』においてその真理陳述がすなおにスピーチ・アクトになるのは、最後に登場する二人の奴隷だけです。「私は見た、なした」という彼らの証言だけが、acte juridiqueとしてのスピーチ・アクトを構成します。よくわからないことを言っていると思われるかもしれませんが、私がなにを言いたいかというと、フーコーはここで自らの立場を英米流言語行為論から区別しているように思えるのです。スピーチ・アクトがスピーチ・アクトになる「手続き」を問題にしているわけですから。オースティンやサールの言語行為論がそんなことを問題にしたでしょうか。ここで詳述する余裕はありませんが、そこでは発話の言語外的な「状況」と「規約conventions」が問題だったはずです。市田良彦がいまここで「国家総動員令を布告する」と発言しても、有効ではない、それが彼らの言語行為論の基本でしょう。そこでの「ゲームの規則」は、「手続き」上の「規則」ではありません。「法」の向こうにある「社会契約」のようなものです。すなわち「つねにすでにある」もの。それに対しフーコーの読む『オイディプス王』においては、手続きを踏む、そのこと自体が規則をなす。それも、規則の正当性はゲームの最後にしか証されない。そこに悲劇の根幹があります。スピーチ・アクトacte de paroleをそれ自体でacte juridique――裁判官の判決のようなものです――と見なす言語行為論にprocédure judiciaire――訴訟手続きのようなものです――は必要ない。というか介在の余地がない。フーコーとの間に相互に影響関係があったと考えられる、オズワルド・デュクロという言語学者、サールの仏訳者でもあるこの言語学者は、実際、言語行為をそのままacte juridiqueと見なすよう主張しています。だからフーコー的存在論は英米言語行為論の影響を色濃く受けているけれども、やはりそれとも大いに異質です。彼の存在論は、言語行為論、言語ゲーム論であるには違いないけれども、大いにétrangeです。
2)レクシスとレクトン
ようやくフィクション論の検討に入って行くことができます。私が今日、発表の実質として皆さんの前に披瀝したい分析は、実のところ、次の図の分析だけです。『狂気、言語、文学』原著232頁にあります。右の日本語部分は私の付加です。図は1967年に作成されたと推定されるノートのなかに見られます。
「フィクション」以外の語は今日の話にはじめて登場するのですが、「ファーブル」は聞き慣れた語でしょう。「寓話」や「物語」と訳されます。しかしフィクションとどう違うのか? それがまず問題です。そして「レクシス」と「レクトン」はフーコーの読者には馴染みのない語でしょう。ともにギリシャ語で、今日の話の言わば準主役です。フーコーは1966年に « L’arrière-fable »というジュール・ヴェルヌを扱った論文を書いています。「ファーブルの背後」ですね。論文ではこの「背後」をなすものをフィクションと定義しています。論文ではしかし、このファーブルとフィクションの前後関係そのものについては冒頭部分で少し触れられているだけです。このように定義する、とかなり抽象的な言葉で語れているだけ。レクシスやレクトンの語も登場しません。おそらくフーコーにとってもまだ不十分で未消化な主題であったのでしょう。だからヴェルヌ論を書いた後に色々試行錯誤してみたのでしょう。その結果が67年のノートだったのでしょう。そのヴェルヌ論の冒頭部分を一応そのまま引いておきます。
「物語récitの形式をもつあらゆる作品において、ファーブルとフィクションを区別しなければならない。ファーブルとは物語られたracontéもの/ことである(エピソード、登場人物、彼らが物語において果たす機能、出来事)である。フィクションとはrégime du récitである。あるいはむしろ、récitがそれに従ってréciterされる多様なrégimesである。すなわち、語り手が自らの語ることに対して取るposture(彼はaventureに属しているのか、少し後退したところから観客としてaventureを眺めているのか、aventureの外に排除されているのか、外部からaventureをsurprendreするのか)、客観的記述を引き受けて事物や人物を通覧する中立的視線のある/なし(…)。ファーブルは一定の順番に配置される要素からなる。フィクションは、語る者と彼がそれについて語るもの/ことの間に設定される諸関係のtrameである。フィクションとはファーブルの « aspect »である」(DE 1 506/『思考集成』II三一六)。
ファーブルとはひとまず、誰がどうした、なにが起こった、と後から要約できてしまうような物語の骨格と理解しておきましょう。フィクションのほうについてフーコーは様々な箇所で少しずつ語っているのですが、ヴェルヌ論のこの冒頭部分との関連でフィクションを分かりやすく説明している一節を『文学講義』から引いておきます。
「作品は一体いつ文学になるのでしょうか。作品の逆説とは、作品が文学であるのは作品のはじまりのまさにその瞬間だけだということ(最初の一文、白紙の頁においてだけだということです。おそらく文学がほんとうに文学であるのは、この瞬間、この表面においてだけです〔…〕)」(100)。
『狂気、言語、文学』を参照すると、この主張はオースティンの言語行為論との対比において言われていることが分かります。しばしば「談話分析」と訳されるようなタイプの「言説分析」との対比が、フーコーに「白紙」云々と言わせている。「談話」においては、フーコーはあるところでティーテーブルの周りで行われるお喋りのようなと戯画化していますが、発話主体と発話の「いま・ここ」が言語外的かつ自明に存在します。ところが白紙の紙にいきなり書きはじめられる文学においては、そんな「そと」が存在していない。発話主体が誰か、彼はいかなる状況に置かれ、どういう態勢postureで会話に臨んでいるのか、まったく分からない。「最初の一文」の「そと」は「白紙」です。つまり言表に言語外的状況、対応する「現実」が存在していない。それゆえに文学はまず「フィクション」である、と特徴づけられるわけです。しかしその「最初の一文」である言表は、書かれる/発せられることにより、必ずどこかに発話主体とその状況、彼のpostureを作ってしまわないでしょうか。分かりやすい例として、フーコーは『狂気、言語、文学』でフローベール『感情教育』の最初の一文を挙げています(257)。« Le 15 septembre 1840, vers six heures du matin, la Ville-de-Montereau,près de partir, fumait à gros tourbillons devant le quai Saint- Bernard. »フローベールは「語る主体」を一人称の「私」としては登場させません。しかし、こう書く/語る誰かは、必ずどこかにいる、と読書のほうは受け取ります。言わば、登場しない不在の発話主体に自分を重ね合わせながら、小説を読んでいく。理解する。『狂気、言語、文学』から引用します。
「フィクションとは言説の内部に、まるで窪みcreuxにあるかのように、言表を組織し構造化する言語外的なものを定義するacteである。あるいはむしろ、そうしたactesの集合ensembleである」(253 強調引用者)。
先の « L’arrière-fable »冒頭部分のよい説明になっているでしょう。「白紙の頁」の上に置かれた「最初の一文」の後、小説がどうなっていくのか、どういうファーブルが語られるのかについてはまったく不明というか、無限の可能性が許容されます。それゆえにフィクションについては、またこうも言われます。「語るべきであろうことがらの無限定な集塊masseである『言説の宇宙』と、récit(有限)の要素からなるファーブルのあいだにフィクションはある」(253)。フィクションはしたがって「篩tri」(255)であるとフーコーは簡潔に記しています。先のrégimeに相当する言い方でしょう。これで先の図における最初の矢印、フィクションとファーブルの前後関係については一応分かったということにさせてください。
次に二番目の矢印、ファーブルからレクシスに延びる矢印ですが、そもそもレクシスとは何なのでしょう。フーコーの他の文献や、彼が参照したと思われる著作を一応あたっては見たのですが、二番目の矢印の説明になっていると思われるものは見つかりませんでした。しかし、これは哲学史上よく知られていることですが、レクシスとレクトンを対比させて論じたのはストア派です。二つの語を定義している箇所を『初期ストア派断片集』(第2巻、京都大学学術出版会、2002)から引いてみます。
「真なるものは命題であり、命題はレクトンであり、レクトンは非物体である」(140)。
「レクシスとは〈文字として書き表すことのできる音声〉である」(148)。
補足しておけば、「真理」そのものは「真なるものを叙述する知識」ないし「魂の主導的部分の様態」として「物体」であると規定されます。また音声は「物体的」とみなされます。レクシスの物体性、物質性とレクトンの理念性が対立させられていると言ってよいでしょう。アリストテレスにも登場するレクシスはフランス語文献では通常 « mot »とか « expression »と訳されます。レクトンのほうは、この語がアリストテレスにも見られるのかどうか知らない、というか分からなかったのですが、ストア派を論じる文脈ではよく « exprimable »と訳されている。あるいは単純に « ce qui est dit »。『狂気、言語、文学』収録のノートにおいて、二つの関係をもっとも簡潔に記している箇所を見ます。
« La position du sujet parlant, dont le repérage, les déplacements constituent, par rapport à ce qui est dit (lekton), la lexisde l’œuvre. » (232)
「語る主体」のpositionとは、先ほど見た、文学が「最初の一文」によって作ってしまう、開いてしまう「窪み」、言語外的な場所placeや態勢postureのことでしょう。それをノートでは「作品のレクシス」と定義しています。これは言ってしまえば、文字としては書き表されていないまさに言語外的な場所ですから、それを「語」や「表現」という意味の「レクシス」の語でもって指示することは、おそらくフーコーに独自のものです。「レクトン」のほうは通常の解釈どおり « ce qui est dit »と規定されていますが、ここで注意すべきは、先に見た « L’arrière-fable »の冒頭部分におけるファーブルの定義、 « ce qui est raconté »とほぼ同じというか、「言われたこと」――とあえて日本語で言います――が « ce qui est dit » - lektonと « ce qui est raconté » - fableに二重化されている、という点です。レクトンが非物体的、理念的だというストア派の規定を踏まえれば、次のように理解できるでしょう。誰がどうした、何が起こったという形で「物語られる」ファーブルは、何か別の理念的なレベルにあるレクトンの「寓話=ファーブル」である。ファーブルはレクトンを物語に含まれる「真」として物語る。この理解をフーコーにおいて正当化してくれそうなファーブルの用法を見つけられるのが、実は『〈知への意志〉講義』と「オイディプスの知」におけるオイディプス論なのです。「オイディプスのファーブル」という言い方を彼はする。そしてそれは「真理のファーブル」なのだと考える。「知」によって王になる人物が自分の仕掛けた罠――それが「司法手続き」です――にはまって追放される悲劇について、私たちとしてはこう言ってよいでしょう。フーコーは『オイディプス王』を「知」と「権力」が分離されて繋がるsavoir-pouvoirの「ファーブル」として読んでいる。〈知-権力〉が『オイディプス王』からフーコーの読み取ったレクトンである。私としては話を先取りしてこうも言ってしまいます。フーコーはサドの『新ジュスティーヌ』を、「欲望」と「真理」が分離されて繋がっていることをレクトンとしてもつファーブルとして読んでいる。
話を図に戻します。フーコーはどうも、「言われたこと」をファーブルとレクトンに二重化する役目をレクシスに見ているようです。それを示す箇所を同じノートから引いておきます。
「レクシスは(フィクション同様に)そのまま作品や言説の要素であるわけではない。それらは固有の物質的シニフィアンを持たない。物質的シニフィアンから出発してのみ分析可能であるにもかかわらず。〔…〕レクシスはしばしば、それに固有のredoublement状態にある。〔語る〕主体がreprésenterされる、という二重化だ。〔…〕この主体はつねに根本的にabsentであるにもかかわらず、ファーブルのなかにはつねにprésenceの様態がある」(232)。
つまりフーコー的レクシスは作品中の「語」や「表現」ではない。けれども言語外のどこかから作品中の言説を語る主体として、作品のなかにいる。文学作品におけるそんな「語る主体」、フローベールの『感情教育』冒頭の一文にもいる「主体」が、フーコーのレクシスなのです。言説が展開されていくにつれ、ファーブルは、一人であったり複数であったりする、また様々な「いま・ここ」をその都度もつ「主体=レクシス」を、つまり不在の「語る主体」を、言説の「窪み」のなかに存在させていきます。これが図の二番目の矢印が意味するところでしょう。そして、三番目の矢印です、このabsentかつprésentな主体が、作品の真実、レクトンを語る。ストア派のレクシス-レクトン関係をフーコーはこんな具合に読み替えています。ストア派ではただ物体的、物質的であるだけのレクシスに、物体的かつ非物体的、物質的かつ非物質的な性格を持たせているわけです。ちなみにフーコーの既刊文献のうちレクシスの用例が見つかるのは『狂気、言語、文学』収録の二つのノートだけですが、レクトンのほうはストア派への言及とともに『〈知への意志〉講義』に一度だけ登場します。
レクシスのこんな独自の解釈をフーコーはどこから得たのでしょうか。レクシス-レクトンの対と言えばストア派であるのに、レクシスの理解だけストア派とはずいぶん違う。これは彼のオリジナルな、ある意味無茶な解釈なのでしょうか。だとしてもことはギリシャ語の解釈問題であり、何らかの出典があるはずです。そう思って私はしばらくの間めぼしい文献を探索していたのですが、一つだけ見つけました。『〈知への意志〉講義』で主題的に取り上げられているアリストテレスの『形而上学』です。講義のなかでは言及されていませんが、フーコーは『形而上学』Γ巻2章の次の文に目を止めていたはずです。仏訳から日本語にします。
「 « homme un »と « homme étant »と « homme »は実際には同じことである。すなわち〈人間とは人間であり一人の人間である〉。レクシスにおけるこういうredoublementはいかなる差異も示さない」(Γ2 1003b27)。
確かにレクシスにおける「二重化状態」を語っています。しかし、この一文を注釈している現代の研究者も指摘するように、アリストテレスはここでレクシスへの不信感、警戒を語っていると言うべきです。「語」のレベルではソフィストたちのように色々言えてしまうけれども、その多くに実質的意味があるのかどうか怪しい、という不信感です。フーコーはつまりアリストテレスが警戒するレクシスの本性を、そのまま肯定的に捉えてフィクション論に、というか、文学はまずフィクションとして理解されるべき、という文学把握に流用しているように私には思えるのです。こうしたアリストテレスの逆向きの活用は『〈知への意志〉講義』にしばしば見受けられるのですが、それはここでの主題から外れるので指摘するにとどめます。とにかく、フーコーのレクシス-レクトン関係とその文学論への取り込みが、ストア派に照らしてもアリストテレスに照らしても大いにétrangeであることは確実です。
とにかく、レクシス-レクトン関係によって二重化されたフィクション-ファーブル関係においては、ファーブルがレクシスを介してレクトンを物語の「真」として語ります。正確には、ファーブルは不在の主体たるレクシスにレクトンを物語らせる。ジュール・ヴェルヌの場合には、先の論文「ファーブルの背後」を参照すれば、彼の科学小説のレクトンは「エントロピーとの闘い」であったり、「人間の無知」であったりするでしょう。いわゆるテーマ批評が作品の「テーマ」として取り出そうとしてきたものを、フーコーはレクトンと考えているのかもしれません。レクトンの語は用いていませんが、「テーマ」については言及しています。『2年間の休暇』であれば「民主主義国家の建設」が小説=ファーブルのレクトンであるかもしれません。
3)「真理のファーブル」
ここでようやくフーコーのオイディプス論に入っていくことができるのですが、先に見た通り、彼はこの悲劇が「真理のファーブルfable de la vérité」だと考えています。オイディプスのファーブルは真理のファーブルである、と。どこかおかしくないでしょうか。あれこれの具体的真理、あれこれである真理――ヴェルヌであれば「エントロビーとの闘い」――ではなく、真理なるもの、真理というもののファーブルです。つまり、レクシス-レクトン関係という構図のもとで「真理」そのものを読み解こうとしている。物語の「真」であるレクトンではなく、「真理」というレクトン、レクトンとしての「真理」を分析しようとしている。その場合、『オイディプス王』におけるレクシスは何あるいは誰でしょう。何あるいは誰が「真理」というレクトンを語るのでしょうか。「奴隷」ではありません。奴隷は登場人物であり、彼らの言う « je »は、物語の外部、言説のなかに不在である場所、「窪み」から語る「主体」ではありません。レクシスのフーコー的定義からすれば、『オイディプス王』におけるそんな主体ははっきりしています。神アポロンです。
私としてはギリシャの神々こそレクシスのモデルだと言いたいくらいなのですが、とにかく『オイディプス王』においてアポロンは、直に言葉を発する主体としては登場しないにもかかわらず、神託と預言を通して告げられる彼の言葉――「罪人を罰せよ」という命令すなわち司法陳述と「犯人はオイディプスである」という真理陳述の二つです――が物語を前に進める推進力となっている。アポロンは戯曲のなかに「つねに根本的にabsentである」にもかかわらず、彼はファーブルのなかに「つねにprésenceの様態」をもちます。私は先に、フーコーにとって『オイディプス王』は真理を確定する手続きprocédureのドラマであると申しました。つまり、『狂気、言語、文学』のノートにおける図の三番目の矢印、レクシスからレクトンに伸びる線を、フーコーは一連の「手続き」に分解しようとしているのだと思います。レクシスがレクトンを語る、生む、存在させるメカニズムを『オイディプス王』に見ようとしている、と。
では戯曲において、レクトンはいかなる様態で「ある」のでしょうか。アポロンの「présenceの様態」――神託と預言です――に相当する、真理=レクトンの「様態」はどのようなものでしょうか。フーコーはそれをはっきり同定しています。コロスの次のセリフのなかに発見されています。
預言者〔占い師〕の言葉が正しかったと見るまでは、非難する者たちにはけっして同意すまい。
ギリシャ語原文には「オルトン・エポスὀρθὸν ἔπος」という語句が含まれているのですが、それこそが戯曲におけるレクトンの存在様態である、とフーコーは見なしているように思えるのです。このギリシャ語を彼は « parole juste »ないし « parole droite »と仏訳していますが、ローブ古典叢書の英訳のほうが文脈上のニュアンスを保存しているでしょう。すなわち« the saying made unmistakable »。市民の代表たるコロスは、オイディプスがライオス殺しの犯人であるという預言者の真理陳述を、証拠によってunmistakableになるまで信じない、と言っているわけです。真理陳述は一定の手続きを経ることによって司法陳述 « parole juste » / « parole droite »になる。司法陳述は「罪人を罰せよ」という様態ですでに与えられているけれども、手続きを経て真理陳述と合致しなければaction juridiqueとして機能しないのです。「不在」かつ「存在」する神の言葉は手続きを経てようやく、有効な判決としてのスピーチ・アクトになる。オイディプスの追放です。
その手続きをフーコーは「オイディプスの知」以来ずっと変わることなく、「半分ゲーム」と呼んでいます。陶片を半分に割って、別々にメッセージの受け手に送り、受け手の手元で二つの欠片が隙間なく合致すればメッセージは本物である、という古代ギリシャにおける風習に準えています。司法陳述と真理陳述がその二つの半分です。ゲームの詳細についてはここでは触れませんが、とにかく①二つに割る、②合致を阻むように思える「ギザギザ」要因を何段階かのステップを踏んで取り除く、それが「半分ゲーム」という手続きです。物語の「真」であるレクトンは、もちろん最初のメッセージに等しく、神の言葉は最初から正しかったということなのですが、もう一つあるでしょう。悲劇の核心部分をなす「真」です。すなわち、手続きの遂行者たるオイディプス、「知」と「権力」を合わせ持った僭主は、手続きが終わった後、退場しなければならない。「真理」は確定された途端、そこに至るまでの「ゲーム」そのものを、遂行者もろとも消去しなければならないのです。つまるところ、レクシス=「語る主体」の二重性を、です。「半分ゲーム」とはこの二重性を消去するゲームにほかなりません。物語的にというかファーブルとしては、「真理」は神に返される。『オイディプス王』は「真理」が故郷に帰る「帰還物語」です。戯曲が「真理のファーブル」であるとはそういう意味に捉えることができるでしょう。フーコーは『〈知への意志〉講義』において、このファーブルをアリストテレスによるソフィストの追放および、追放による「哲学」の成立と同時代のものと見なしています。つまり、両者は一つの同じレクトンを共有するファーブルである、と。私としては、それ自体が一つの文学的で哲学的なファーブルのように展開するフーコーのオイディプス論から、こうしたフーコーのレクトンを読み取ることは許されると思います。とにかく彼にとって、アリストテレス哲学は詭弁の敵であるとともに文学の敵であったのでしょう。彼の目には詭弁も文学も、主体をabsentかつprésentにするレクシスに存立根拠を置いていると見えていたことは確かでしょう。ちなみに主体のこの二重性は『狂気、言語、文学』においても『文学講義』においても、「狂気」を特徴づける本性ともされています。
4)サドとオイディプス
さて、こうしたオイディプス論とサド論の同型性ですが、それは、司法陳述juridictionと真理陳述véridictionをそれぞれ、prescription「処方」ないし「命令」――「〜すべし」という言説です――と、「記述」ないし「描写」descriptionと言い換えてみると分かります。サド論についてはこの後で柵瀬さんが詳しく語られるはずですので、ここでは言い換えによって浮かび上がるオイディプス論との同型性についてだけお話しすることにします。フーコー自身が二つのサド講演で言い換えているわけではないのですが、その他の様々な論考、とりわけ『自己と他者の統治』講義の最初の2回を費やして行われたカントの「啓蒙とは何か」の分析では特に断ることなく、当然といった身振りで置き換えられています。このとき司法陳述をprescriptionと解することに説明や正当化は不要でしょうが、真理陳述をdescriptionと置き換えることにはそれが必要なはずです。詳述している余裕はないものの、その点はフーコーの言表論そのものを検討することで納得していただけるはずです。つまるところ彼は「〈pはqである〉と言う」ことを以て真理陳述と見なしてかまわないという立場なのです。口にされない状態の命題は真理陳述ではないでしょうが、「私は〈pはqである〉と思う」と言えば、それはすでに真理陳述です。だから、「語る主体」が情景を記述、描写すれば、その主体が言説にabsentであろうがprésentであろうが、それもすでにその「主体」の真理陳述なのです。
サド講演は「サドにおける真理と欲望の関係」を問題にすると明言されています。両者を関係させるのがサドの「エクリチュール」である、と。一つだけ引用すれば、「エクリチュールとは、真理となった欲望であり、欲望という形をとった真理(…)です」(196)。そしてまた、エクリチュールは「手法procédé」であるとも言われています。もはや言うまでもないでしょう、サド講演のフーコーは「真理」と「欲望」を、オイディプス論における「半分-半分」のように見立て、「エクリチュール」を、両者を合致させる「手続き」と見ているのです。ではサド講演における「オルトン・エポス」とはなんでしょうか。エクリチュールによって二つの「半分」を合体させて得られる、サド作品の「レクトン」とは?オイディプスの追放に相当する『新ジュスティーヌ』の「真」、サドが自らのエクリチュールによって果たすaction juridiqueとは?そこがフーコー論としては面白く、かつ重要な点であると思うのですが、サドにおける「オルトン・エポス」は言表でも言説でもありません。端的に、「射精」です。性的絶頂です。フーコーが『新ジュスティーヌ』においてエクリチュールの機能を説明している「唯一のテクスト」として挙げている箇所をぜひご一読ください(179-180)。引用しませんが、簡単なことなのです。要するに、2週間「オナ禁」しなさい、そしてその間に浮かんできた妄想を一挙に文字にしなさい、そうすれば射精できますよ、という「処方prescription」ないし「手法procédé」。なぜそれが面白く重要かと言うと、一つのスピーチ・アクト理論になっているからです。「アクト」の効果は判決のように司法的でなくともよく、自己の身体に対する効果であってもよいが、いずれにしても「手続き」こそ肝要。発話をactionにするのにいかなる社会的「規約convention」も要らない、とフーコーの議論は事実上述べています。「手続き」と「規則」は別物だ、と。孤独で特異な、性器に手を触れる行為すら要件としない「手続き」が「半分ゲーム」を遂行して、半分と半分の、言葉を伴わない「合致」を実現する。そんな「半分ゲーム」もありえる、とフーコーは主張しているのではないでしょうか。
二日目の講演ではサド的「半分ゲーム」がより具体的に分析されています。というか、フーコーが『新ジュスティーヌ』を「半分ゲーム」の一例と読んでいることがはっきり分かります。そこでの半分と半分はフーコーの言い方では〈場面scène〉と〈言説discours〉です。エロチックな光景が次々に描き出される〈場面〉と、神は存在しない/自然は存在しない/私は存在しない/他者は存在しない、という四つの非在、四つの「真理」を理論的に証明しようとする〈言説〉です。四つの非在証明については多々語るべきこともありますが、柵瀬さんが触れてくださると思いますので、ここでは〈場面〉と〈言説〉が「欲望」と「真理」に対応しているという点だけに注目したい。〈場面〉が「欲望」に対応するのは、文字通り欲望を喚起する、欲情を催させるという、書く目的に資するからです。しかしそんな〈場面〉と理論的〈言説〉を交互に入れ替えるというprocédé-procédureは、普通に考えて、「射精」という「オルトン・エポス」に到達するむしろ妨げにならないのでしょうか。フーコーのサドによれば、またそれこそがこのサド論の面白く重要なところと思えるのですが、まったく妨げにならない。引用します。「真なる言説は欲望を増幅し、深め、無限にするのであり、そして欲望は、言説をますます真なるものにします」(242)。ポルノ小説ではダメである、ポルノグラッフィックな想像だけで絶頂に達することはできない!そこに哲学的言説が加わってはじめて「イケる」。それがほんとうかどうかは問題ではありません。問題はこの信念が〈言説〉上の「真理」を、つまりサドの真理陳述を、司法陳述に変えてしまうところです。四つの「真理」を一つにまとめた「悪徳は栄える」という哲学的命題は、そのままでは真理陳述ではないのです。四つの非存在を実現するまでリベルタン的振舞いを止めるな、たとえ仲間を殺して最後の一人になっても、燃え盛る火山に身を投げる時に絶頂に達してはじめてリベルタンの言説、the sayingは、unmistakableになるであろう。哲学的真理陳述がこのように司法陳述に変わる一方、〈場面〉の記述や描写は、『オイディプス王』における奴隷の証言と同じ機能を持たされます。すなわち、〈これが証拠だ〉。記述や描写がストレートに真理陳述になるのです。つまりサド的半分ゲームでは、「欲望と真理」という対が「descriptionとprescription」、真理陳述と司法陳述に言わば裏返る。メビウスの帯をなす。サドは、引用します、「真理と欲望は果たしなくくるくる回る同じリボンの二つの面のようなものだということを示そうとしたのです」(244)。
こんな「半分ゲーム」を展開させるのがサドの言説であるとすれば、サドは先の図の三番目の矢印を、逆から辿っているかのようです。性的絶頂というレクトンから辿って、リベルタンを「語る主体」として存在させる、彼らをレクシスにする、という方向です。実際、『新ジュスティーヌ』には様々なリベルタンが次々に登場するのですが、誰も真のリベルタンとしてこの世に残らない。リベルタンはいわば不在を運命づけられています。真理と欲望は二つの陶片のようには合致せず、レクシスのような、いやむしろレクシスにふさわしいredoublementを示して終わります。真のリベルタンは存在し、かつ存在しません。『新ジュスティーヌ』ではジュリエットやジュスティーヌの周りで展開される一つ一つのエピソードがファーブルとなって、それまで言説にprésentであった個々のリベルタンをabsentにしていくのです。だから『新ジュスティーヌ』はもはや『オイディプス王』のように全体として一つのファーブル、なにか一つの真、あるいは真理なるものをレクトンとして語るファーブルではない。ではこの作品は何をするのでしょうか。私にはそれこそが、図の最初の矢印を逆に辿ることのように思えるのです。すなわちファーブルからフィクションへ、ファーブルの群れから「フィクション」なるものへ、です。今日の私の話の出発点に戻って言えば、存在論としてのフィクションへ、です。
「サドは神や魂、自然や法を錯覚にはしません。彼はそれらを奇怪な空想、彼が « chimère »と呼ぶものにします。 « chimère »とは存在しないものではなく、それがそれ自身であればあるほど、ますます存在しなくなるようなものです」(228)。
シメールであるのは神や自然だけではないでしょう。リベルタンもまたそうなのです。〈言説〉とそれが語る「真理」は神や自然が存在しないと証明しますが、証明が完結するのは〈場面〉による証言、リベルタンたちのactionによってであり、このactionが成立するためには神や自然は存在してもらわないと困る。そしてリベルタンはリベルタンであろうとすればするほど、自らの死に近づくことになる。サドの言説、エクリチュール、彼の推論と描写は、「それ自身であればあるほどますます存在しなくなる」シメールなるものをexisterさせます。「ない」まま「ある」ものを。『オイディプス王』がファーブルからレクトンへの関係を示しているとすれば、『新ジュスティーヌ』はフィクションとレクシスの関係を、レクシスからファーブルを経由しつつフィクションへという方向で跡付けているのではないでしょうか。「語る主体」の「手続き」が目指すゴールは「オルトン・エポス」ではなく、「存在」が「フィクション」であるシメールです。とにかく同じように「半分ゲーム」を繰り広げる二つの作品においては、「真理」の動態が正反対であるように思えるのです。
ここでようやく、私たちは「存在論はフィクションである」という、最初に立てたテーゼ③に戻ることができます。フーコーがこのテーゼを提出したのは1983年、エウリピデスの戯曲『イオン』をめぐってでした。『自己と他者の統治』講義を同年3月に終えたフーコーは、秋にはカリフォルニア大学バークレー校を訪れ、「パレーシア」概念の通史とも言うべき連続講演を行なっています。その2回目には『イオン』を取り上げ、『オイディプス王』と比較してこう述べています。二つの戯曲では「真理の動態the dynamicsが正反対なのです」[1]。『イオン』における「真理」もテーゼ②の主張する通りゲームを通して確定されます。そしてそのゲームは『オイディプス王』と同じように「半分ゲーム」です。その点をフーコーは講義でも講演でも強調しています。ところがその両方で彼が分析するところでは、ゲームを構成する二つの半分が『オイディプス王』と同じではない。真理陳述と司法陳述ではない。真と偽なのです。真と偽が半分と半分として「合致」する。どういうことでしょうか。フーコーの存在論はたんに「なにがあるのか」、「ある」の意味とはなにか、であるのではなく、「なにがほんとうにあるのか」でした。だとすれば真と偽の「合致」とは、「ほんとうにある」と「ほんとうにはない」の「合致」でなければならない。「ない」まま「ある」、ということでなければならない。この状態について講義のフーコーはこう述べています。
「私たちはあらゆる錯覚、あらゆる嘘の窪みcreuxにいる」(GSA 100/一四八)。
この「私たち」とは芝居を見る観客であり、アテナイ市民のことなのですが、フーコーを含む現代の読者であってもかまわない。この演劇中では、神アポロンはもはやなにも語りません。『オイディプス王』におけるように自らの言葉を二つの半分に分けて人間のところに送ることさえせずに、最後まで沈黙を守る。その代わりに、主要な登場人物はみな、半分ほんとうで半分嘘の言説を投げつけあい、その結果、アテナイの創設神話つまりアテナイ人の「真」が彼らと市民の間で共有されるのです。「私たち」の国家は、神を父とし、アテナイの土地を母にして生まれた、という神話です。劇の詳細、つまり『イオン』の「半分ゲーム」の実態について立ち入る代わりに、私としては、『狂気、言語、文学』からすでに引いた一文をもう一度引用して本日の話を締めくくりたいと思います。
「フィクションとは言説の内部に、まるで窪みcreuxにあるかのように、言表を組織し構造化する言語外的なものを定義するacteである。あるいはむしろ、そうしたactesの集合ensembleである」。
引用文献略号
GSA : Michel Foucault, Le gouvernement de soi et des autres, Cours au Collège de France 1982-1983, Seuil / Gallimard, 2008.(『自己と他者の統治』阿部崇訳、筑摩書房、2010年)
« L’arrière-fable » (1966), Dits et Écrits, tome 1, Gallimard, 1994.(「物語の背後にあるもの」竹内信夫訳、『ミシェル・フーコー思考集成』II、筑摩書房、1999年。
『文学講義』:『フーコー文学講義――大いなる異邦のもの』柵瀬宏平訳、ちくま学芸文庫、2021年。
『狂気、言語、文学』:Folie, langage, littérature, Vrin, 2019.(未邦訳)
[1]六回の連続講演「言説と真理」。講演は英語で行われた。Michel Foucault, Discourse and truth, established by Nancy Luxon and edited by H-P. Fruchaud and D. Lorenzini, University of Chicago Press, 2019, p.82.