【2023年12月23日に開催された、ジャック・ランシエール『文学の政治』(森本淳生訳、水声社、2023年6月刊)オンライン合評会(フーコー研究フォーラム主催)の記録】
ジャック・ランシエール『文学の政治』は2023年、森本淳生氏により翻訳、水声社より出版された。2007年に著されたランシエールの文学論の要諦をなす本書が、日本の読者に達意の訳を通じてついに届けられることとなったが、その意義は翻訳に限られたものではない。豊富かつ適切な訳注を備え、巻末には、決して単純とはいいがたいランシエールの文学論が明快な形で、彼の他の文学論も参照しながら示されている。日本においてランシエールは、『不和』や『民主主義の憎悪』などで展開される独自の政治哲学で知られている。現代アートにおける関係の美学の参照項となっている美学的側面に加えて、この翻訳によって文学論もまた、ランシエール思想の重要な面として大々的に導入されたと言えるだろう。
書評者はマラルメ研究をする者であり、その立場から『文学の政治』の意義と、ランシエールが提示するパースペクティブにのっとったうえで見えてくる問題を、ここに提起したいと思う。『文学の政治』を締めるのは「哲学者における詩人――バディウとマラルメ」と題された論考であるが、ここではそれを逆転させて考えてみたい。詩人(マラルメ)から見た哲学者(ランシエール)の文学論はどのような相貌を現わしているのか。
その導入として、まずは両者の思考領域のあいだにある、意外な類似性を指摘したい。言うまでもなく、ランシエールは政治と美学(あるいは文学)を両輪として、より正確に言えば政治と美学を「感性的なものの分割=共有」という同一の枠組みで論じる点が特徴的である(「文学は文学として政治を行う」(15)(以下数字は『文学の政治』等のページ数)。他方、社会など見向きもしない孤高の詩人のように一見思われているマラルメもまた、『ディヴァガシオン(たわごと)』と題された散文集で未来の祝祭のヴィジョンを語るような、空想社会主義的な側面を持つ詩人であった。政治から文学にフィールドを広げたランシエールと、文学を起点として「文芸共和国」を夢想するマラルメが、交差する点はどこなのだろうか。
「文学の自律性」史観を超えて
『文学の政治』冒頭で提示され、森本氏も解説(378-379)で的確に紹介している「文芸から文学」へのパラダイム変化は、一言でいうなら、生とは独立した、特定の因果的連鎖に基づく物語が、19世紀以降、生の真理が表出する言語に移行するという図式である。「表象représentation」から「表現=表出expression」へ、表象的体制から美学的体制への「文学革命」とされるものである。こうした認識自体は独創的というより、アウエルバッハ『ミメーシス─ヨーロッパ文学における現実描写』といった描写・ジャンル論にも見られるような、「折り目正しい」文学史にのっとったものである。この意味でランシエールは、文学研究の遺産を無視して、自らの思想の例示として文学作品を用いるような哲学者たちと一線を画している。
一方で、20世紀後半における文学史観は、構造主義や言語論的転回の潮流の中で、「美学的体制」下にあるとされた19世紀文学を前半と後半に分ける。前半におけるロマン主義が、後半の「芸術のための芸術」によって乗り越えられ、文学の自律性を獲得するという、モダニスト的な見方が支配的だったのである。サルトルにおいて政治からの撤退として否定的に言及された〈詩〉のありかたは(「記号の帝国は散文であり、詩は絵や彫刻や音楽の側にある」(『文学とは何か』))、ブランショそしてロラン・バルトによって価値転倒されて論及される(「作者の死」)。ブルデューは、ボードレールやマネにおいて文学・芸術場の自律性が確立したことを巧みに論じている(『芸術の規則』)。この20世紀の抽象芸術や純粋詩を用意するような進化史観は、「詩的言語の革命」(クリステヴァ)が政治革命と平行するという歴史観によって補強される。詩とは何かという問いをラディカルに掘り下げた詩人は、象牙の塔の住人なのではなく政治的な前衛なのであり、これは『文学の政治』においては革命の時代を生きたバディウの理路を考える際に、参考にされているように思われる。
ランシエールはこのようなフォルマリズム的な見方からは十分に距離をとっている。彼の文学論は、「模倣批判=言語の自律性」という図式に隠された盲点への着目という意義があり、それはロマン主義の政治的・宗教的な文脈も加味した再評価や(ラクー=ラバルト、ナンシー『文学的絶対』など)、「文学理論」の数々を文学史的見地から再検討する流れ(アントワーヌ・コンパニョン『文学をめぐる理論と常識』など)に掉さすものとも言える。
「美学的体制」と混交様式
本書の魅力はまずは、旧体制(アンシャン・レジーム)からの文学革命という強力な武器を用いて、近代の文学作品の数々を一刀両断に解析し、マッピングするということにあるだろう。エンマ・ボヴァリーは文学と生のあいだにあったルールを破ったために、いわば「処刑」されたのではないか。数多く見られる断言調の評言は、ときに反発を引き起こしつつも、既成の枠組みに安住しようとする文学研究を挑発する機能を果たしているように思われる。
しかし、『文学の政治』には多様な論考がおさめられており、それらを通読するなら、いわゆる「哲学者の文学論」の抽象化の傾向とは異なるベクトルも確認することができるだろう。「ボルヘスとフランス病」では、美学的体制の時代にあっても、さまざまな表象的体制との混合体が見られるという指摘が見られる。表象的体制の因果的連鎖に基づく物語の枠組みを残す小話(コント)、さらに本書全体でいうなら、探偵小説、歴史叙述的見地から見た伝記など、けっして真実の生を表出する純粋な言葉などには還元されない、不純な側面が浮かび上がる。書評者としては、ランシエールの文学論では正面から扱われていないボードレールが、ポオに由来する「構成の原理」との関連で言及されているのが興味深いところである。また、映画論(『映画的寓話La fable cinématographique』(2001)(未邦訳))では、ポスト美学的体制とも言うべき20世紀のメディアである映画は、イメージの力と物語の複合体として分析される。『イメージの運命』(2003)では、デザインや装飾芸術といった諸芸術の混交あるいは変転が、積極的に論じられるのである。
19世紀フランス文学、そしてそれ以降の文学・芸術潮流を「文学革命」という一貫したパースペクティブから論じることに加えて、それを相対化しながら(「フランス病」)、「文学革命」の多様な形態を見逃さない――、これを「文学の政治」の第二の意義として示したい。もちろんそれは逆の見方をするなら、一言では要約不可能な面が多いことを意味する。「19・20世紀」「フランス」文学・芸術史という文脈に大きく依拠する点で、つまりは脱歴史化・脱地域化することができない点で、デリダなどの脱構築などの概念と比べて流布しにくく、他領域に応用しにくい面は否定できない。それでも現在、英米圏を中心にランシエールの政治思想・美学の検討は進んでおり、文学論もまたそこに付け加わるべきであろう。
アポリア的解釈の陥穽?
ここまで『文学の政治』の二つの意義を見てきたが、マラルメ研究の立場から、既成の枠組みにとらわれないランシエールの文学論もまた陥っているように見える先入観を指摘したい。それは、マラルメ(そしてフローベール)の作品を未完の徴におき、その原因を美学的体制によって論理上導かれる自己矛盾とする論理である。
冒頭で述べたように、文学革命によって成立した美学的体制では「徹底的な平等主義」(26)が目指される。高尚な行為も低俗な行為も、高貴な人々の弁舌も素朴な人々の声も、「文体の絶対化」により作品となる。フローベールの『ボヴァリー夫人』の農業共進会の場面が例に出されるが、ミシュレの『フランス革命史』も言及される。そこでは首都の共和主義者の演説ではなく、村の演舌家たちが残した文書から立ち上る、沈黙の「声」が立ち上るのであり、歴史叙述をめぐる議論にもつながってくる指摘であろう。
しかしこのどちらの例も散文であり、民衆の沈黙の声が直接かかわる媒体であって、文学の「民主主義」のプロジェクトは明快であった。他方、詩においてこのヴィジョンはどのように設定されるのか? 「闖入者-マラルメの政治」では、民衆の沈黙の声はイデーに変奏される。そしてそれをどのように言葉に表出させるかという問題は、ドイツロマン主義的プロジェクト(共同体の神話としての詩)との関連で論じられる(145)。マラルメは同時代の演劇批判を出発点として詩の祝祭のヴィジョンを語るのだが、ワーグナーの楽劇、カトリックの聖体拝領communionに対して、
来たるべき詩はまさに、このように模像(シミュラークル)が集団的神話のうちに組みこまれる事態から守られなければならない。[……]イデーが模像であるとするなら、選ばれし者が誰でもよい、とるに足りぬ者であり、詩の栄光が来たるべき民衆の栄光であるとするなら、それらの障壁はより厳密に維持されなければならない。(146)
というのがランシエールの見立てである。「詩の到来を無限に遅らせること」(147)が詩を守るための戦略とされるのである。実際、マラルメは詩の祝祭を実現した形跡もなければ、『賽の一振り』のような試みも実験に終わったと言える。新しい時代の神話としての詩を実現しなかったことで、のちのファシズム、政治の美学化にも通じる危険を回避したと見えるかもしれない。ランシエールがこのような先延ばしの「戦略」あるいは結果としての遅延をポジティブにとらえているのだと仮定しよう。その場合、それは結局、民衆の闖入を壁で防ぐようなエリート主義に舞い戻る。そしてランシエール本人が『平等の原則』(122)において批判していた、「未来の後退」あるいは「約束の言説」というメシア主義的論理(いつか救済が訪れるが今はそのときではない)に帰着することになるのではないか。そしてこれはまた、これまでのマラルメ論の常套句(絶対に対峙するなかでの、挫折、不能、虚無…)を、結果的には踏襲したものになるのではないか。「文学」の不可能性に苛まれる詩人という旧来のイメージが、ここに復活しているのである。
もちろんこのようなマラルメの「遅延」に対して、ランシエールが批判していたという見方もありえるだろう。しかしながら、このような文学像はマラルメにとどまらない。フローベールの未完の遺作『ブヴァールとペキュシェ』について、「フローベールは、彼のふたりの登場人物に書き写させるものすべてを自分でも書き写さなければならない。文学の散文を世界という散文の常套句から区別する仕事を、フローベールは無化することを余儀なくされる」(49-50)と位置づける。文学は民衆の言葉、正確に言えば民衆の沈黙の言葉を解釈した言説群に融け込むより他なくなるという自己矛盾に陥るのであり、ランシエールはそれを「文学の自己消去」(49)とする。つまりマラルメにおける詩の先送りも、フローベールにおける散文の融解も、美学的体制の作品が運命づけられたアポリアとして位置づけられるのである。
マラルメ同様、フローベールにおいても悲劇的な側面が強調されすぎなのではないだろうか。『ブヴァールとペキュシェ』が未完に終わったのは、文学革命を完遂させようとするフローベールが突き当たった袋小路が原因であった、とは言えないだろう。
「文学」の世紀を超えた作品
他方、このような位置づけの後に、ランシエール自身、「以上の逆説のもうひとつの面は、次の世紀に現れる」(50)としており、美学的体制を徹底させたフローベール・マラルメ以後の文学が言及されることとなる。民衆の声ともいうべき新聞の切り抜きなどのコラージュで構成された、ドス・パソスの『USA』の政治文学としての限界に触れつつ、美学的体制の時代の進行に伴って作品が多様に変容していくさまを、ランシエールは追い続けているように見える(これは『沈黙の言葉La Parole muette』(1998)(未邦訳)には見られない点である)。それは本稿で言及したような探偵小説や映画など、表象的体制に支配的だった物語構造のような「不純な」要素も含みこむものであり、感覚的快と倫理のバランスが揺り動かされる現代アートのさまざまな試みも遠望するものである。
ランシエールは20世紀以降の文学・芸術が向かうところをどのように見ているか。美学的体制は純化しているのか、それとも表象的体制と混交しながら、「不純」となりながら存続しているのか。読者としては、『文学の政治』の見取り図を引き継ぎつつも、アップデートや修正も加えることに躊躇しない態度が求められる。これこそ「ランシエールの教え」なのではなかろうか。
ランシエールの政治的ユートピア?
上に提起した問題は、ランシエールにとっての政治的ユートピアがそもそも存在を希求されているのか、その場合、それはどのようなものになるのか、という問題にもつながる。ここでのユートピアは未来への投企という時間的な側面だけでなく、「トピア」という語に含まれる空間的な側面も含意する。言うなれば、ランシエール思想において、集団的救済の契機はあるのかという問題である。アソシエーションという応答は予想されるものの、合理的言説の共同体というべきポリスや共和国に対しカウンターの思想を提示してきた「不和」の哲学者にとって、意想外な問いであろう。
もう一つ見逃せないのは、文学と政治の差異である。「政治的な不一致は、名もなき者たちの集団、ひとつの我々を宣言することによって、政治的な事物と行為者の領野を再構成する主体化のプロセスとして実行される。[……]文学は発話主体を、名もなき生活の知覚と情動の網の目の中へと解体する」(73, 解説382, 399)とあるように、政治においては我々という主体が立ち上がるのに対して、文学はむしろ統整された主体が感覚の渦の中で解体していくのである(外界の多様な刺激に翻弄されるエンマ・ボヴァリー、言葉を掘り下げる中で非個人性に至るマラルメやフローベールのように)。
ランシエール思想に共同体という主題は合わないものとみなされてきた。しかし、「不和」の枠組みにおいても他者との関係性が問われていることには間違いない。感性的なものが紐帯となって「我々」が構成される共同体論と比較して、ランシエールの「文学の政治」「パルタージュ(分割=共有)」はどのような位置にあるのか――、これもまた、今後問われる課題であろう。
新たなフィクションへ
この書評ではマラルメ研究の立場から、詩人から哲学者を逆照射した場合に何が見えてくるか綴ってきた。最後に付け加えるものとして、いやむしろここまでの論点をマラルメの詩学でとらえかえすものとして、「虚構=フィクション」の概念をとりあげたい。
マラルメにとって虚構は、表象的体制において確立したとされる筋道だった物語を超えて、文学そして人間の想像の営みを包括する原理として位置づけられている。それはさまざまな芸術をまとめる詩学である(「他の諸芸術の収束する点に位置し、諸芸術から発し、それらを支配するもの。〈虚構〉あるいは〈詩〉」(ワーグナー論))。そして、社会的関係も文学的虚構に基礎づけられた、想像上のものとされる(「社会的関係、そして統治するためにその間合いを一瞬一瞬縮めるにせよ大きくするにせよ、そこで生まれた関係は、ひとつの虚構であり、文芸に属するものである」(「擁護(アカデミー・フランセーズ論)」)。
『文学の政治』では「闖入者-マラルメの政治」において、詩人と労働者たちが相互浸透しつつ、新たに分割される空間はどのようなものなのかが問われている。それはまずは「不和」や「非コンセンサスdissensus」という概念で思考を繰り広げるランシエール特有の問題設定である。そして同時に、「全ては〈美学〉と〈政治経済学〉に要約される」(『音楽と文芸』)と告げたマラルメの問題設定に沿うものとも言える。マラルメの思考、そして美学的体制において、表象的体制における「物語」を超え出る「虚構=フィクション」はどのような機能を果たしているのか――、これは第一の問い、20世紀以降の文学・芸術作品の位置を考えるという問題設定と結局は交わる問いとなるだろう。
『感性的なもののパルタージュ』の邦訳には、梶田裕氏による「フィクションの擁護のために」と題されたランシエールへのインタビューが付されている。「あなたはフィクションを、見えるもの、聞き取りえるもの、言いえるもの、そして思考しえるものの連接を構築する特別な様式として擁護しておられる[……]解放的、あるいはディセンサス的なフィクションの、ポリス的、コンセンサス的フィクションに対する異質性を、どのように確保することができるのでしょうか」という梶田氏の問いにランシエールは、「支配的なフィクションの体制が創設しているような諸同一性を移動させるフィクション」、「再現=表象的な問い(「戦争についていかなるイメージを作り出さなければならないか」)から脱却し、「戦争はイメージに対して何を行うか」という美的=感性論的問いを提出」(122)するとして、レバノンの現代アートなどを例示している。
おそらく『文学の政治』の企図は、「文芸から文学へ」という強力な歴史的図式に諸作品を位置づけて、その意義を(再)発見することにとどまるものではないだろう。文学も政治も感性的なものの布置をめぐる人間の営みであることを前提として、文学革命、さらにはその変容も含みこむような視点から、19世紀以降の文学の多様な形態を思考する試みであるといえる。その意味で、読者にゆだねられる部分は大きく、ランシエールが提示したパースペクティブを出発点としながら、その是非も含めて議論をすることが求められる、どこまでも刺激的な著作なのである。